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親鸞会.NET|「雑行を捨てよ」の真意

「浄土真宗では善を勧めないのに、親鸞会は善を勧めているから間違いだ」

と言ってきた人がありました。

お釈迦様は一生涯、善を勧められた方です。

親鸞聖人は、そのお釈迦様の教えを、「我も信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり」と、90年のご生涯、教えて続けていかれました。

なのに、どうして「浄土真宗では善を勧めない」という意見が出てきたのでしょうか?



ここには、「雑行」という言葉の誤解に、その大きな要因があります。

どんな誤解なのか、親鸞会.NETというサイトで、詳しく紹介しています。


「雑行を捨てよ」の真意(1) 親鸞会.NET

親鸞聖人の教えに善の勧めはあるのか、ないのか。
そのやりとりの発端について、その経緯が紹介されています。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(1)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(2) 親鸞会.NET

善を勧める親鸞会に対し、「浄土真宗は諸善を勧めない」と相手は主張してきました。
諸善とは、仏教で教えられる諸の善のことです。
お金や物を施す、仏法を伝えるなどの行為は諸善です。
それを「勧めない」という相手の主張なのですが、どうしてこんな主張が…、と驚きます。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(2)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(3) 親鸞会.NET

「浄土真宗は諸善を勧めない」と相手が主張してきた根拠を尋ねてみました。
すると、それは「雑行を捨てよ」である、との回答でした。
「諸善を捨てよ、止めよ」と「雑行を捨てよ、止めよ」を、同じ意味だと誤解しているのです。
そこで、「真宗は、諸善を勧めない」と言われるのであれば、「諸善を捨てよ、止めよ」と言われている親鸞聖人の言葉をお尋ねしました。
詳細は、本文をお読みください。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(3)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(4) 親鸞会.NET

「雑行を捨てよ」と主張する相手の理解が、ここで明らかになります。
親鸞聖人の教えに善の勧めはない、という主張がどうして生まれるのか、相手の意見を聞いてみたいと思います。
次第に苦しい解説になっていることがわかります。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(4)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(5) 親鸞会.NET

『その仏法上の〝諸善〟を、すべて〝雑行〟と言われるのならば、弥陀に救われた親鸞聖人が、日野左衛門や弁円などに、懸命に仏法を話し、伝えようとされたことも、〝雑行〟と言われるのでしょうか』
との質問に、相手は、「それらは仏恩報謝の行です。往生のための行ではありません」と回答。
どのようなやりとりがなされているのか、聞いてみましょう。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(5)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(6) 親鸞会.NET

「仏法を伝えるなどの往生行」と、「仏法を伝えるなどの報恩行」の行体は、別のものだとの相手の見解。
そこで、仏法を伝えるという同じ行為なのに、どこがどう違って、
「あれは往生行」
「これは報恩行」
と、分けられるか、その分かれ目を相手に尋ねます。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(6)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(7) 親鸞会.NET

仏法を伝える行為が、往生行となるか、報恩行となるか、その分かれ目を尋ねたところ、「真宗では信前・信後で変わります」との回答。
さらに、「仏法を伝えるなどの往生行諸善雑行と、報恩行とは、全く別物で、行体は同じではありません」との回答もありました。
そうなると、信前・信後で、われわれの行為のどこが、どう変わるのか。
他力の信心を獲る前と獲た後と、仏法を伝えるなどの行為自体、変わるのか、変わらぬのか。
ここが是非とも知りたくなるところです。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(7)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(8) 親鸞会.NET

「雑行を捨てよ」ということを、「諸善を捨てよ、やめよ」と誤解している人が浄土真宗には大変多くあります。
「諸善」を「雑行」と嫌われ、捨てよと言われる真意を知ることが大切です。

ではなぜ、
「諸善」を「雑行」と嫌われ捨てよ、と言われるのでしょうか。
それは、「諸善」を行う心がけが悪いからです。その悪い心とは、「往生の役に立てようとする心」です。
「雑行」とは、その悪い心で行う諸善のことをいいます。

「諸善」が悪いはずはなく、それをやる心がけが悪いから、雑行とけなされ捨てよ、と言われるのであって、諸善そのものを捨てよ、やめよ、ということではありません。

「雑行」も「諸善」も、その行体は変わりませんが、「往生の役に立てようとする自力の心でやる諸善」は「雑行」と嫌われ「捨てよ」と言われるのです。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(8)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(9) 親鸞会.NET

「雑行」の意味が明らかになり、再度、相手に「諸善と雑行は同じことですか」と確認するも、それには答えがありませんでした。
回答に行き詰まった原因は、「諸善」と「雑行」の違いが分からず、「雑行を捨てよ」を「諸善を捨てよ」と間違われたところにありました。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(9)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(10) 親鸞会.NET

親鸞聖人の教えでは、「雑行」とは、だんだんに捨たるものでもなければ、少しずつ無くなるものでもありません。
弥陀に救われた一瞬に捨たるものです。
真宗で「雑行」とは、「往生の役に立てようとする自力の心でする諸善」を言うのですから、雑行が捨たったというのは、「往生の役に立てようとする自力の心」が捨たったことであり、無くなったことを言うのです。
「諸善を捨てる」ことでもなければ、「諸善を止める」ことでもありません。
「雑行を捨てて本願に帰した」人ならば、明らかに体験することです。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(10)を読む



「雑行を捨てよ」が大変誤解されています。親鸞聖人の教えを正しく知る上で、極めて大切なことですから、よくよく学ばなければなりません。
親鸞会発行の『顕正新聞』に、「雑行を捨てよ」の意味を、わかりやすくマンガで解説したものを、このブログにも掲載しています。
下記のリンクからご覧ください。

>> マンガでわかる「雑行を捨てよ」

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親鸞会.NETに掲載されている「親鸞会 仏教講座」の内容を紹介しましょう。

親鸞会・あじさいの花

●後生の一大事について

仏教は後生の一大事を知るところからはじまり、後生の一大事の解決で終わります。
ですから、「後生の一大事」とはどんなことかを知らなければ、仏法は何十年聞いてもわかるものではありません。
その後生の一大事について解説しています。

第1回
第2回
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