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親鸞会で雑行の正しい意味が分かる

どうすれば阿弥陀仏の救いにあえるのか。信心決定できるのか。
親鸞聖人の教えを聞き求める人にとって、最も知りたいことです。

それに対する親鸞聖人のお答えは、「捨自帰他(自力を捨てて、他力に帰せよ)」以外にないことを、親鸞会では親鸞聖人の教えをもって、ハッキリとお示ししております。

これを自他力廃立(じたりきはいりゅう)といいます。

「廃立」とは「捨てもの」と「立てるもの」ということです。

覚如上人は、

「真宗の門においては幾度も廃立を先とせり」(改邪鈔)

と、親鸞聖人の教えは「廃立」であることを明らかにされています。

では何を捨てよ、と言われるのでしょうか。朝晩、親鸞学徒が拝読している『御文章』や『領解文』で蓮如上人は、

「もろもろの雑行・雑修・自力の心をふり捨てて」

と雑行・雑修・自力の心だと繰り返されています。

「雑行・雑修・自力の心」が廃らなかったら、阿弥陀仏の救済にあずかることは絶対にできないからです。

雑行の本義は諸善万行です。
雑修は五正行(阿弥陀仏に向かっての、読誦、観察、礼拝、称名、讃嘆供養の五つの正しい行)、すなわち朝晩の勤行のことです。

善をしなかったら善い果報はきませんし、勤行は大いに励まなければならない行です。

なのに、なぜ「雑行・雑修」と嫌われ、「捨てよ」と言われているのでしょうか。

ここを親鸞会では、徹底して明らかにしております。

それは、偏に自力の心で行うからです。

ですから、「雑行・雑修を捨てよ」と言われるのは、諸善や五正行の勤行などをやめよ、捨てよ、ということではなく、「自力の心を捨てよ」ということなのです。

この自力の心が分からないから、「雑行を捨てよ」を「善を捨てよ」という意味だと誤解し、「親鸞聖人の教えに、善の勧めはない」「善を勧めるのは間違いだ」など、馬鹿げたことを言い出すのです。

他力を真実(真)、自力を方便(仮)とも教えられています。
真実が知らされなかったら、方便は絶対分からないように、自力の心は、他力に入らなかったら絶対に分かるものではありません。

阿弥陀仏に救い摂られた一念に、自力(仮)と他力(真)が同時にハッキリ知らされるのです。

「真・仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す」(教行信証)

親鸞聖人が断言されているように、真仮が分かっていないのは、いまだ救われていないからなのです。

親鸞会は、「方便など不要だ」「善を勧めるのは間違いだ」などという者たちのバカバカしい放言の誤りを指摘し、正しい親鸞聖人の教えを明示して、本当の仏教を明らかにお伝えしていくのみです。

このような親鸞聖人の教えについての誤解と、正しい意味を、インターネットで学ぶことができます。

浄土真宗親鸞会の公式ホームページでは、これまで幾度にもわたって雑行・雑修・自力の心について解説をして参りました。過去に掲載した親鸞会公式ホームページの記事を振り返ってみましょう。

>> 「雑行捨てよ」と「修善の勧め」|親鸞会 公式ホームページ

現今の浄土真宗崩落の惨状は、”雑行捨てよ” の教えを”善を捨てよ”と誤解したのが、大きな要因の一つであることは間違いありません。しかし、なによりも「雑行捨てよ」の正しい意味を教え切らなかった僧職の、重大な責任を指摘せざるをえないことが論じられています。

>> 「雑行」が分からぬのは なぜか|親鸞会 公式ホームページ

後生の一大事が分からなければ、〝後生助かりたい〟とも思わないし、それを助ける阿弥陀仏の本願も分かるはずがありません。これでは全く仏法が始まらないから、阿弥陀仏の本願に遇わせるのが目的だったお釈迦様は、45年間の説法ほとんどを、後生の一大事を知らせるためになされたのです。

>> 雑行雑修自力の心とはどんなものか|親鸞会 公式ホームページ

浄土真宗で絶対捨てねば助からぬと言われる「雑行・雑修・自力の心」とは、どんなものか、高森顕徹先生が答えて下されたことを紹介しております。

>> 後生の一大事が問題にならねば、「雑行」は絶対に分からない|親鸞会 公式ホームページ

蓮如上人も「雑行(ぞうぎょう)を捨てよ」とは、書かれているが「信仰が進むから、善をしなさい」とは、書いておられないのではないか。だから、善を勧める親鸞会は間違いであり、善をすれば助かるという諸行往生だ。このように親鸞会に対して言ってくる人がありますが、果たして正しい非難と言えるでしょうか?「善を勧めるのは間違い」という人たちの誤りがどこにあるのか、親鸞会は徹底して明らかにします。

>> 雑行が廃らぬ|親鸞会 公式ホームページ

後生助かりたいの思いもなく、真剣に諸善もせず、阿弥陀仏一仏にも向かってない人に、雑行を棄てよと言っても、分からないのが当然です。雑行と言われるものが、問題になるところまで進んでいないからです。では、なぜ真剣に諸善もせず、阿弥陀仏一仏にも向かないのかと言えば、後生の一大事が問題になっていないからである。親鸞会では、後生の一大事を詳しく解説し、救いの道を親鸞聖人のお言葉で明らかにお示ししています。

>> 寝ていて転んだためしなし 裸で物を落とした者もなし|親鸞会 公式ホームページ

なぜ現今の浄土真宗の人達は後生が問題にならず諸善に向かわないのか。それは、三世因果の道理が教えられていないからです。先ず、お釈迦様が因果の道理を説かれ、廃悪修善を徹底されたのはそのためでした。しかもそれはお釈迦様の勝手な判断でなく、本師本仏の阿弥陀仏が誓われた救済の要門だからなのです



親鸞会.NETでは、“「雑行を捨てよ」の真意”と題して、10回にわたって浄土真宗でいわれる雑行の正しい意味を明らかにしています。
親鸞会.NETに掲載された内容を、簡単にまとめましたので、下記のページをご覧ください。

>> 親鸞会.NET|「雑行を捨てよ」の真意 を読む



親鸞会発行の顕正新聞では、親鸞聖人の教えを学ぶ皆さんに、正しく教えを知っていただくために、親鸞聖人のお言葉を分かりやすく解説しています。
親鸞聖人の教えを理解するキーワードといわれる「雑行」の意味が、誰にでも分かるマンガで連載されたことがありました。
この「親鸞会の仏教講座 ひまわり日記でこんにちは」にも載せてありますので、ぜひご覧ください。

>> 親鸞会|雑行・雑修・自力の心|マンガ解説|もくじ

親鸞会.NET|「雑行を捨てよ」の真意

「浄土真宗では善を勧めないのに、親鸞会は善を勧めているから間違いだ」

と言ってきた人がありました。

お釈迦様は一生涯、善を勧められた方です。

親鸞聖人は、そのお釈迦様の教えを、「我も信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり」と、90年のご生涯、教えて続けていかれました。

なのに、どうして「浄土真宗では善を勧めない」という意見が出てきたのでしょうか?



ここには、「雑行」という言葉の誤解に、その大きな要因があります。

どんな誤解なのか、親鸞会.NETというサイトで、詳しく紹介しています。


「雑行を捨てよ」の真意(1) 親鸞会.NET

親鸞聖人の教えに善の勧めはあるのか、ないのか。
そのやりとりの発端について、その経緯が紹介されています。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(1)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(2) 親鸞会.NET

善を勧める親鸞会に対し、「浄土真宗は諸善を勧めない」と相手は主張してきました。
諸善とは、仏教で教えられる諸の善のことです。
お金や物を施す、仏法を伝えるなどの行為は諸善です。
それを「勧めない」という相手の主張なのですが、どうしてこんな主張が…、と驚きます。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(2)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(3) 親鸞会.NET

「浄土真宗は諸善を勧めない」と相手が主張してきた根拠を尋ねてみました。
すると、それは「雑行を捨てよ」である、との回答でした。
「諸善を捨てよ、止めよ」と「雑行を捨てよ、止めよ」を、同じ意味だと誤解しているのです。
そこで、「真宗は、諸善を勧めない」と言われるのであれば、「諸善を捨てよ、止めよ」と言われている親鸞聖人の言葉をお尋ねしました。
詳細は、本文をお読みください。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(3)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(4) 親鸞会.NET

「雑行を捨てよ」と主張する相手の理解が、ここで明らかになります。
親鸞聖人の教えに善の勧めはない、という主張がどうして生まれるのか、相手の意見を聞いてみたいと思います。
次第に苦しい解説になっていることがわかります。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(4)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(5) 親鸞会.NET

『その仏法上の〝諸善〟を、すべて〝雑行〟と言われるのならば、弥陀に救われた親鸞聖人が、日野左衛門や弁円などに、懸命に仏法を話し、伝えようとされたことも、〝雑行〟と言われるのでしょうか』
との質問に、相手は、「それらは仏恩報謝の行です。往生のための行ではありません」と回答。
どのようなやりとりがなされているのか、聞いてみましょう。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(5)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(6) 親鸞会.NET

「仏法を伝えるなどの往生行」と、「仏法を伝えるなどの報恩行」の行体は、別のものだとの相手の見解。
そこで、仏法を伝えるという同じ行為なのに、どこがどう違って、
「あれは往生行」
「これは報恩行」
と、分けられるか、その分かれ目を相手に尋ねます。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(6)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(7) 親鸞会.NET

仏法を伝える行為が、往生行となるか、報恩行となるか、その分かれ目を尋ねたところ、「真宗では信前・信後で変わります」との回答。
さらに、「仏法を伝えるなどの往生行諸善雑行と、報恩行とは、全く別物で、行体は同じではありません」との回答もありました。
そうなると、信前・信後で、われわれの行為のどこが、どう変わるのか。
他力の信心を獲る前と獲た後と、仏法を伝えるなどの行為自体、変わるのか、変わらぬのか。
ここが是非とも知りたくなるところです。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(7)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(8) 親鸞会.NET

「雑行を捨てよ」ということを、「諸善を捨てよ、やめよ」と誤解している人が浄土真宗には大変多くあります。
「諸善」を「雑行」と嫌われ、捨てよと言われる真意を知ることが大切です。

ではなぜ、
「諸善」を「雑行」と嫌われ捨てよ、と言われるのでしょうか。
それは、「諸善」を行う心がけが悪いからです。その悪い心とは、「往生の役に立てようとする心」です。
「雑行」とは、その悪い心で行う諸善のことをいいます。

「諸善」が悪いはずはなく、それをやる心がけが悪いから、雑行とけなされ捨てよ、と言われるのであって、諸善そのものを捨てよ、やめよ、ということではありません。

「雑行」も「諸善」も、その行体は変わりませんが、「往生の役に立てようとする自力の心でやる諸善」は「雑行」と嫌われ「捨てよ」と言われるのです。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(8)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(9) 親鸞会.NET

「雑行」の意味が明らかになり、再度、相手に「諸善と雑行は同じことですか」と確認するも、それには答えがありませんでした。
回答に行き詰まった原因は、「諸善」と「雑行」の違いが分からず、「雑行を捨てよ」を「諸善を捨てよ」と間違われたところにありました。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(9)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(10) 親鸞会.NET

親鸞聖人の教えでは、「雑行」とは、だんだんに捨たるものでもなければ、少しずつ無くなるものでもありません。
弥陀に救われた一瞬に捨たるものです。
真宗で「雑行」とは、「往生の役に立てようとする自力の心でする諸善」を言うのですから、雑行が捨たったというのは、「往生の役に立てようとする自力の心」が捨たったことであり、無くなったことを言うのです。
「諸善を捨てる」ことでもなければ、「諸善を止める」ことでもありません。
「雑行を捨てて本願に帰した」人ならば、明らかに体験することです。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(10)を読む



「雑行を捨てよ」が大変誤解されています。親鸞聖人の教えを正しく知る上で、極めて大切なことですから、よくよく学ばなければなりません。
親鸞会発行の『顕正新聞』に、「雑行を捨てよ」の意味を、わかりやすくマンガで解説したものを、このブログにも掲載しています。
下記のリンクからご覧ください。

>> マンガでわかる「雑行を捨てよ」

親鸞会|雑行・雑修・自力の心|マンガ解説|もくじ

浄土真宗でよく読まれるお言葉に次の蓮如上人のお言葉があります。

もろもろの雑行・雑修・自力の心をふり捨てて、一心に「阿弥陀如来われらが今度の一大事の後生御たすけ候え」とたのみ申して候。たのむ一念のとき、往生一定・御たすけ治定とぞんじ、この上の称名は、御恩報謝と存じよろこび申し候。この御ことわり聴聞申しわけ候こと、御開山聖人御出世の御恩・次第相承の善知識の浅からざる御勧化の御恩と、有難くぞんじ候。この上は定めおかせらるる御掟、一期をかぎりまもり申すべく候。

はじめの「もろもろの雑行・雑修・自力の心をふり捨てて」の意味が、大変誤解されていますので、その正しい意味を、親鸞会では誰にでもわかるように解説しています。

大変大事なところなので、機関紙の『顕正新聞』でもマンガでわかりやすく解説されました。


「マンガ解説・雑行・雑修・自力の心」の目次

雑行・雑修・自力の心|マンガ解説1
雑行・雑修・自力の心|マンガ解説1~4
(親鸞会 顕正新聞 平成22年2月15日号掲載)

雑行・雑修・自力の心|マンガ解説2
雑行・雑修・自力の心|マンガ解説5~7
(親鸞会 顕正新聞 平成22年3月1日号掲載)

雑行・雑修・自力の心|マンガ解説3
雑行・雑修・自力の心|マンガ解説8~10
(親鸞会 顕正新聞 平成22年3月15日号掲載)

雑行・雑修・自力の心|マンガ解説4
雑行・雑修・自力の心|マンガ解説11~14
(親鸞会 顕正新聞 平成22年4月15日号掲載)

親鸞会|雑行・雑修・自力の心|マンガ解説14

>> 雑行・雑修・自力の心|マンガ解説|もくじ

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捨てよと言われる“自力”とは?
“自力を捨てよ”とは、善を捨てよ、善をやるな、ということではないのか?

親鸞会顕正新聞 雑行・雑修・自力の心 解説04-16

「“自力を捨てよ”は、“善を捨てよ”ではない。
浄土往生の役に立てようとする心を捨てよということだ!」

親鸞会顕正新聞 雑行・雑修・自力の心 解説04-17

「因果の道理は大宇宙の真理。だから救われる前も後も、一貫して諸善が勧められるのは当然よ」

親鸞会顕正新聞 雑行・雑修・自力の心 解説04-18

「ただ、それを浄土往生の役に立てようとする自力の心でやると、“雑行”と嫌われ、自力の心が一念で廃って他力になれば、同じ行為が報恩感謝の行になるのです」

親鸞会顕正新聞 雑行・雑修・自力の心 解説04-19

「捨てものは“善”ではない。“自力の心”だ!迷海、もっとよく教えを聞いてから、物を言いなさい」

親鸞会顕正新聞 雑行・雑修・自力の心 解説04-20

「親鸞聖人は、自力の心を無明の闇とも言われ、自力は、阿弥陀仏(智恵光仏)のお力によってのみ廃ることを教えられています」

無明の闇を破するゆえ
智慧光仏となづけたり
一切諸仏三乗衆
ともに嘆誉したまえり
(浄土和讃)


「だから大宇宙の諸仏や菩薩が皆、褒めたたえるのね」

親鸞会顕正新聞 雑行・雑修・自力の心 解説04-21

「善導大師は、“利剣即是弥陀名号”と言われています。弥陀の名号という、もの凄い切れ味の刀で、自力は一念で切り捨てられるのです」

「弥陀の名号とは、南無阿弥陀仏のことよ。弥陀よりこの南無阿弥陀仏を賜った一念に自力が廃って他力に帰するのです」

親鸞会顕正新聞 雑行・雑修・自力の心 解説04-22

「さあさあ迷海どの、もっと教えを聞きましょう」

「改むるに憚ることなかれ、ですぞ」

めでたし・完



「雑行・雑修・自力の心」について正しい理解が大切です。
よくよく聞かせていただきましょう。



>> 雑行・雑修・自力の心|マンガ解説|もくじ

親鸞会|雑行・雑修・自力の心|マンガ解説13

>> 雑行・雑修・自力の心|マンガ解説|もくじ

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捨てよと言われる「自力」について、正しい意味を学びましょう。

親鸞会顕正新聞 雑行・雑修・自力の心 解説04-13

「捨てよと言われる“自力”とは」

身・口・意の乱心を繕い、めでとうしなして浄土へ往生せんと思うを自力と申すなり(末灯鈔)

親鸞会顕正新聞 雑行・雑修・自力の心 解説04-14

「親鸞聖人は、浄土へ往生しようとして、身・口・意を善くしようとするのを自力の心、と言われているわ」

「だから、身・口・意を善くしようとしてはいかんのだろう」

親鸞会顕正新聞 雑行・雑修・自力の心 解説04-15

「そこが違う」

「だれ?」

「F?」

「まさか、おじさん?」



迷海は、「身・口・意を善くしようとしてはいけない」と主張している。
そこへ現れた謎のキャラクター・・・。

ハッキリと「違う!」と断言。
迷海の誤りは、どこにあるのか??



>> 雑行・雑修・自力の心|マンガ解説14

>> 雑行・雑修・自力の心|マンガ解説|もくじ