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親鸞会の顕正新聞に連載「『ひらく』後 真実開顕へ刻む時」|親鸞会

高森顕徹先生著『歎異抄をひらく』の発刊から5年の月日が経過した。
最も多くの人に読まれている仏教書『歎異抄』は、これまで自由奔放な解釈が横行し、著者の意図に反して、親鸞聖人の教えを誤解させる結果を招いた。

『歎異抄をひらく』は、これまでの歎異抄解釈の誤りを、親鸞聖人の主著『教行信証』を物差しとして正した本である。

平成20年3月に発刊されて以降、それまで毎年、10冊以上出ていた『歎異抄』解説本がピタリと出なくなった。
それから5年、現在、23万部を突破し、名実ともに『歎異抄』解釈の決定版として、多くの人に親しまれている。

この5年の沈黙は何を意味するのか、親鸞会が発行する顕正新聞に、分かりやすく解説されている。

 

第1回:「地方のある住職会議で」の巻

『歎異抄をひらく』の発刊以降、『歎異抄』の解説書が1冊も出なくなって5年が経過しようとしている。いったい何が起きているのだろうか。地方で開かれている住職会議で、こんなことが問題になっている。

http://www.shinrankai.or.jp/b/kizamutoki/kizamu-comic01.htm

 

第2回:「地方のある住職会議で②」の巻

「誰でも彼でも念仏を称えることによって、本当の幸福を得て、お浄土に参らせていただく」という本願寺総長の説教は、称名正因の異安心。親鸞聖人のみ教えは「信心正因」であることは『教行信証』で明らかである。親鸞会では、常に「信心正因 称名報恩」の親鸞聖人のみ教えを、親鸞聖人のお言葉で明らかにしている。

http://www.shinrankai.or.jp/b/kizamutoki/kizamu-comic03.htm

 

第3回:「地方のある住職会議で③」の巻

“『歎異抄をひらく』には、親鸞聖人の書かれた『教行信証』をものさしに『歎異抄』の意味が解説されている。これによって、多く誤解されてきた『歎異抄』の文章が、正しく理解できるようになった。親鸞聖人のお言葉で教えを明らかにされた『歎異抄をひらく』への反論は、親鸞聖人への反論となるのである。

http://www.shinrankai.or.jp/b/kizamutoki/kizamu-comic05.htm

 

第4回:「親鸞聖人の歓喜の証言」の巻

阿弥陀仏に救い摂られた親鸞聖人の歓喜の証言が、主著『教行信証』にハッキリと記されている。一念で鮮やかに救い摂ってくださるのが弥陀の救いなのである。阿弥陀仏の救いは「いつとはなし」というのは、親鸞聖人の教えではない。

http://www.shinrankai.or.jp/b/kizamutoki/kizamu-comic07.htm

 

第5回:「平生の一念でハッキリする」の巻

阿弥陀仏の救いは、「いつとはなし」というのは親鸞聖人の教えではない。平生の一念でハッキリすることを親鸞聖人は明快に教えておられる。

http://www.shinrankai.or.jp/b/kizamutoki/kizamu-comic09.htm

 

第6回:「断言できない親鸞聖人のお言葉はない」の巻

親鸞聖人の教えについて、「私はこう思う」「私はこう考える」と私見を平気で語る者がいる。親鸞聖人の教えはお聖教に明らかである。断言できない親鸞聖人の教えはないのである。

http://www.shinrankai.or.jp/b/kizamutoki/kizamu-comic11.htm

 

第7回:「怒濤の光輪」の巻

親鸞聖人のお言葉を提示し、その意味を懇切丁寧に解説されている『歎異抄をひらく』を読むことで、正しい親鸞聖人のみ教えを知ることができる。これまでの歎異抄解釈の誤りを正し、反論もなく5年が経過したことに深く、重い意味がある。

http://www.shinrankai.or.jp/b/kizamutoki/kizamu-comic13.htm

 

親鸞会では、全国各地で親鸞聖人の教えが分かる仏教講座を開催しています。有名な『歎異抄』や『正信偈』の意味を、講座で知ることが出来ます。詳しい日程や会場をお知りになりたい方は、親鸞会 公式ホームページの仏教講座の案内をご覧ください。

 

浄土真宗の正しい御本尊は御名号と親鸞聖人は教えられた|親鸞会

「親鸞聖人が浄土真宗の御本尊を御名号と定められたとお聞きし、聖人のご恩に報いるにはまず、親鸞聖人のお勧めどおりの御本尊にしなければと思いました」

広島県の新城マサノさん、忠幸さん親子の自宅で7月初旬、遷仏会が開かれました。
忠幸さんの曽祖父は熱心な安芸門徒で、自宅に布教使を呼び、ご法話の時には宿を勤めたこともあったといいます。

ところが、その家が5年前、火事に遭って全焼し、御仏壇だけが残りました。

忠幸さんが仏縁を結んだのは、その2年後でした。

「苦しい人生、なぜ生きるか。その悩みに親鸞聖人がお答えくださっていることを知って驚きました」

その後、同居の母・マサノさんに伝え、親子で聞法するようになりました。

マサノさんは、
「お念仏称えておれば、死ねば極楽へ往けるのが浄土真宗だと思っていました。
『正信偈』の意味も、後生の一大事も知らず、生きている今、阿弥陀仏から六字の名号を頂いて救われることも知りませんでした」
と語ります。

「焼け残った御仏壇をお洗濯に出し、御名号を御本尊にお迎えできたこの日は、生涯忘れられない幸せな記念日です。
今では、毎日、親子そろって勤行するのが楽しみです」
とシゲコさんは笑みを浮かべて語っていました。

木像や絵像本尊を廃し、御名号本尊となされたのは、親鸞聖人が最初です。それは時代背景や住居の影響など、枝葉末節の問題からではありません。御名号を本尊となされた根拠は、『大無量寿経』の「本願成就文」にまでさかのぼります。

この「本願成就文」とは、弥陀の本願の極意であり、釈迦出世の本懐であり、浄土真宗の肝腑骨目と、親鸞聖人は仰っています。
その本願成就文に、「名号のいわれを聞信する一念で、一切の人々は、絶対の幸福に救われる」と説き明かされています。
だから親鸞聖人は、それまで各寺院で用いられていた、弥陀三尊の絵図などを捨て去り、ただ御名号を本尊とせよと教示なされたのです。
親鸞聖人の仰せのとおり、忠実に教えられた蓮如上人は、

「他流には『名号よりは絵像、絵像よりは木像』というなり。当流には『木像よりは絵像、絵像よりは名号』というなり」
(御一代記聞書)


と、他宗の木像や絵像の本尊と比較し、浄土真宗の本尊は、南無阿弥陀仏の御名号であることを明快に教示されています。

親鸞会の公式ホームページには、私たちが最も尊ぶべき御本尊について、詳しく解説されています。

 

1.浄土真宗講座|親鸞聖人が名号を本尊とされた根拠は何か

http://www.shinrankai.or.jp/b/shinsyu/infoshinsyu/qa0418.htm

親鸞会では、浄土真宗の正しい御本尊は、木像や絵像ではなく名号であることを親鸞聖人はどのように教えられているのかについて誰にでもわかるように解説をしています。

 

2.浄土真宗の正しい御本尊が御名号である理由とは

http://www.shinrankai.or.jp/b/shinsyu/jodoshinshu-seitou01.htm

浄土真宗を明らかにされた親鸞聖人、その教えは中興・蓮如上人によって全国に拡大しました。浄土真宗の正しい御本尊が御名号である理由について、親鸞聖人、蓮如上人のお言葉に学びます。

 

3.“名号本尊”は親鸞聖人のお勧め

http://www.shinrankai.or.jp/s/kaiinkoe/2010/0630myougouhonzon-osusume.htm

親鸞学徒は、親鸞聖人の勧められるとおり、御名号を本尊としてご安置し、朝夕礼拝させていただきます。その親鸞聖人の教えに背いて、木像本尊で統一してきた真宗界でも、最近、変化が見られるようになりました。

 

4.真宗の正しい御本尊 弥陀より一念で賜る名号

http://www.shinrankai.or.jp/s/kaiinkoe/2010/1108myougou-ichinen.htm

親鸞聖人が生涯、御本尊として尊び、礼拝なされた南無阿弥陀仏の御名号こそ、浄土真宗の正しい御本尊です。最も大事な御本尊とは、南無阿弥陀仏の御名号なのであることを学びます。

 

5.「木像よりは絵像、絵像よりは名号」加速する御名号本尊への流れ

http://www.shinrankai.or.jp/koe/080801myougouhonzon.htm

浄土真宗の正しい御本尊について、親鸞聖人、蓮如上人の御教示を知られた方々が、「親鸞聖人の教えられたとおりにしたい」と御名号本尊に変えています。各地の声を紹介します。

 

6.止まらない御名号本尊への流れ

http://www.shinrankai.or.jp/b/shinsyu/myogohonzon-nagare01.htm

親鸞聖人の教えと異なることを重ねて親鸞会に指摘され、苦慮するあまりか、住職向けの月刊誌に、矛盾した御本尊の解説が掲載されていました。本願寺の本尊論を検証します。

 

7.御名号本尊へ大きな流れ

http://www.shinrankai.or.jp/koe/080709myougou.htm

「本日、お参りし、さすがだなと思いました。親鸞さまの教えでは『南無阿弥陀仏』の名号こそ正しい御本尊なのです。この家はみ教えに従い正しいお仏壇にしておられる」本願寺僧侶の全くの予想外の言葉に声も出ませんでした。真宗界は、着実に変わってきています。

 

8.本願寺住職の意外な言葉「御名号こそ浄土真宗の正しい御本尊」

http://www.shinrankai.or.jp/koe/090201honzon.htm

「皆さん、お仏壇を見てください。南無阿弥陀仏の御名号がご安置されています。これこそ浄土真宗の正しい御本尊です。私の門徒では初めてです」母親の七回忌法要に来た本願寺住職の、意外な言葉に息をのみました、と親鸞会会員は語りました。真宗の正しい御本尊が御名号であることが、少しずつ真宗界に認知されるようになってきているようです。

親鸞会の顕正新聞で楽しく学べる仏教の言葉「ほんまでっか」シリーズ

親鸞会の顕正新聞に「ほんまでっか」というちょっと変わったタイトルのコーナーがある。

関西弁でやりとりされる会話の中で、よく知られる仏教の言葉をとりあげ、正しい意味を解説する連載である。

平成24年3月からスタートした月2回の連載は、今月で14回を数える。

これまで取り上げられたテーマと、内容が全部読める親鸞会公式ホームページへのリンクを紹介しよう。

 

第1回:「往生」=「困った」?

「往生」という言葉は、世間でもよく用いられる仏教の言葉である。ところが、「往生」という言葉は、一般に「困った」とか「弱った」という意味で使われている。これは完全に誤用である。「往生」は仏教の言葉だから、その意味は、仏教によらなければならない。では、本来は、どんな意味を持つ言葉なのだろうか?なにわの夫婦の会話から学ぶことができます。

http://www.shinrankai.or.jp/b/honmadekka/20120301oujou.htm

 

第2回:袖触れ合うも多生の縁

「袖触れ合うも多生の縁」ということわざがある。その中の「多生の縁」とはどんなことなのだろう?「多少」ではなく「多生」と書かれている。幾度となく生まれ変わり死に変わり、果てしなく繰り返してきた過去を持つ私たちだから、多生なのだ。果てしない歴史を持つ私の生命が、人間に生まれてわずかであっても縁があったのは、「多生の縁」あってのことなのだよ、と教えられる。詳しくは、楽しいなにわの夫婦の会話で知ることが出来る。

http://www.shinrankai.or.jp/b/honmadekka/20120315tashounoen.htm

 

第3回:施しは幸せのタネ

「旦那」という言葉は、もともと仏教から出た言葉である。「おたくの旦那様は……」「うちの旦那はねぇ……」と、近所の井戸端会議でよく聞かれる。どんな由来があって、「旦那」という言葉が使われるようになったのだろうか?なにわの夫婦の会話で「旦那」の意味が分かります。

http://www.shinrankai.or.jp/b/honmadekka/20120401shiawasenotane.htm

 

 第4回:人間は煩悩の塊!?

「煩悩」とは、私たちを煩わせ、悩ませるもので、一人に108つあると説かれる。これを108の煩悩と言われる。108の煩悩の中でも、特に恐ろしいのが欲、怒り、愚痴の3つで、これを三毒の煩悩と言う。人間はこれら煩悩の塊といわれるのだが、どんなことなのか?高校生の2人が何やら会話をしているので聞いてみよう。

 

第5回:これも自因自果なんやろか

仏教の根幹は、因果の道理。私たちの運命は何によって決まるのか、お釈迦様が明らかにされた教えである。善因善果、悪因悪果、自因自果と説かれ、善い原因は善い結果を生み出す、悪い原因は悪い結果を引き起こす、自分が蒔いた種は、自分が刈り取らなければならない、ということだ。これはいつでもどこでも変わらぬ大宇宙の真理。しかし、悪いことが起きたときは、なかなか悪因悪果、自因自果とは思えないもの。なにわの夫婦の会話に学んでみよう。

http://www.shinrankai.or.jp/b/honmadekka/20120501jiinjika.htm

 

第6回:流転輪廻って何? 

仏教に「流転輪廻(るてんりんね)」という言葉がある。輪廻とは、車がグルグルと際限なく回り続けるように、キリもキワもないことだ。仏教では、私たち人間の迷っている姿を表している言葉だ。いったい、どんなことなのか、なにわの寿司屋の主人と客の会話に学ぼう。

http://www.shinrankai.or.jp/b/honmadekka/20120515rutenrinne.htm

 

第7回:一向専念ってなんでやねん

仏教の結論は、「一向専念無量寿仏」である。阿弥陀仏一仏に向け、阿弥陀仏だけを信じよ、と教えられた言葉だ。仏教には、いろいろな仏や菩薩、神が説かれているが、なぜ阿弥陀仏一仏なのだろう?なにわの町内会の班長と隠居の会話に学んでみよう。

http://www.shinrankai.or.jp/b/honmadekka/20120601ikkousennen.htm

 

第8回:後生ってほんまにあるの?

「死んだ後はない」という夫。しかし、友人の葬式では神妙な面持ちで「ご冥福をお祈りします」と言っていた。後生は本当にあるのか?ないのか?そこのところを、なにわの夫婦の会話に学んでみよう。

 

第9回:人生を楽しく渡す大船あり

「生きる=善いこと」が大前提だが、なぜそう言えるのだろうか?毎年、3万人以上の自殺者が出ている。大きな社会問題として、国会でも議論されているが、一向に解決に向かわない。社会保障や電話相談などを充実させることで、問題解決を図っているが、表面的な対策に過ぎない。根本にある「なぜ自殺はいけないのか?」に答えなければ、自殺問題の真の解決に向かって前進することはないだろう。なにわの先生と生徒の会話に学ぶ。

http://www.shinrankai.or.jp/b/honmadekka/20120701taisen.html

 

第10回: 『御文章』とはどんなもの

浄土真宗では、朝晩の勤行で、親鸞聖人の『正信偈』と蓮如上人の『御文章』を拝読する。蓮如上人は、今から約500年前、室町時代に活躍された方で、親鸞聖人の教えを、最も正確に、最も多くの人に伝えられた。蓮如上人の『御文章』とは、どのようなものか、なにわの夫婦の会話に学んでみよう。

http://www.shinrankai.or.jp/b/honmadekka/20120715gobunsho.html

 

 第11回:「法泥棒」ではあかん!

昔から“法泥棒”と言って嫌われるのは、一体、どんなことなのか。なにわの夫婦の会話に学びます。

http://www.shinrankai.or.jp/b/honmadekka/20120801houdorobo.html

 

第12回:親鸞聖人のアニメはええなぁ

今日、世界の光と仰がれる親鸞聖人とはどんなお方だったのか?親鸞聖人のご生涯を分かりやすく描かれたアニメーションについてなにわの夫婦が会話をしています。聞いてみましょう。

http://www.shinrankai.or.jp/b/honmadekka/20120815animation.html

 

第13回:仏法に明日はない 報恩講は必ず

浄土真宗で最も大きな行事が「報恩講(ほうおんこう)」です。親鸞聖人の御恩に報いる集まり、ということですが、どんな行事なのでしょうか?なにわのご隠居と善吉の会話に学びましょう。

http://www.shinrankai.or.jp/b/honmadekka/20120915houonkou.html

 

第14回:私に私が分からん?

阿弥陀仏は本当にまします仏様なのか?それを問題にしている「私」とは何ものか、ハッキリしているだろうか?なにわの夫婦が、何やら話をしています。聞いてみましょう。

http://www.shinrankai.or.jp/b/honmadekka/20121101watashi.html

 

親鸞聖人の教えで分かるハッキリする阿弥陀仏の救い|親鸞会

「親鸞聖人は、念仏を称えさえすれば、死ねば必ず極楽に生まれられると教えた人だ」というのが、常識にようにいわれ、それが浄土真宗の教えだと誤解されているのが悲しい現状です。

親鸞会では、誤解された浄土真宗の教えを、正しく知っていただくために、活動を行なっております。

親鸞聖人の教えは、生きている時に救われる教えです。
今生に、一念で阿弥陀仏に救い摂られ、未来永遠の幸福に生かされるのです。

その90年の親鸞聖人の教えをひと言で表された言葉が「平生業成(へいぜいごうじょう)」です。

平生とは、死後ではない、生きている現在ということ。
業とは、人生の大事業のことであり、別の言葉で言えば人生の目的のことです。
成とは、完成する、達成する、ということです。

ですから「平生業成」とは、「人生には、これ一つ果たさなければならないという大事な目的がある。それは現在完成できる。だから早く完成しなさいよ」と90年の生涯、教え続けていかれた親鸞聖人の教えを漢字4字で表された言葉なのです。

しかも、阿弥陀仏の救いは一念ですから、極めてハッキリしたものです。

「自分が救われているのか、救われていないのか、よく分からない」
「自分の口から尊いお念仏が出るということは、阿弥陀仏に救われているということだろう」
「すべての人をあわれみたもう阿弥陀様だから、救いは届いているはずだ」

“だろう”とか“はず”といった曖昧な救いが阿弥陀仏の救いではありません。

阿弥陀仏の救いに値うとは、阿弥陀仏の願力によって往生一定、現生不退、絶対の幸福に救われたことをいいます。

この世も苦しみの連続であり、後生に一大事を抱え、大宇宙の諸仏にも見放され苦より苦に流転してゆく私たちを憐れに思われて「我をたのめ、必ず絶対の幸福に救う」と誓っていられるのが阿弥陀仏です。

もちろん、死後のことではありません。だから阿弥陀仏の本願を平生業成というのです。平生に苦悩渦巻く人生を、光明輝く人生に救うというお約束です。

こんな素晴らしい本願は世にありませんから親鸞聖人は『正信偈』に、

無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり(正信偈)
阿弥陀仏は、無上最高、希有の誓いを建てられている。

とおっしゃっています。

その阿弥陀仏のお約束通りに、往生一定、現生不退、絶対の幸福に助かったことを信心獲得(しんじんぎゃくとく)とか、信心決定(しんじんけつじょう)といいます。

これは全く阿弥陀仏のお力(他力)によってであることがハッキリ知らされますから、明信仏智(阿弥陀仏の本願・仏智がハッキリ知らされること)といい他力の信心というのです。

しかも、この阿弥陀仏の救いは一念で完成するのです。それは、阿弥陀仏が命一刹那に迫っている人をも救うために、「ひとおもい」(一念)で救うという約束をなされているからです。

親鸞聖人はこれを、「一念往生」とか「一念の信心」とおっしゃっています。一念という時尅の極促で私たちの苦悩を抜き、無上の幸福を与えてくだされるのです。これを抜苦与楽とも破闇満願とも説かれています。

阿弥陀仏の救いは、このようにハッキリしていますから、「これで、助かったのだろうか」とか「信心獲得できたのだろうか」などと思案したり、他人に尋ねることではないのです。

親鸞聖人の『教行信証』その他に書かれていることは、この阿弥陀仏の不思議な救いの驚嘆と、広大な慶心ばかりです。

覚如上人も「救われたことを喜んでいる」と『執持鈔』に次のようにおっしゃっています。

「われ已に本願の名号を持念す、往生の業すでに成弁することをよろこぶ」(執持鈔)

蓮如上人も

「他力の信心ということをば今既に獲たり、乃至今こそ明かに知られたり」(御文章)

と書いておられます。

ハッキリしなければ、往生の一大事、安心できません。

救われた喜びがなければ「真宗宗歌」も歌われません。「真宗宗歌」には、「永久の闇より救われし、身の幸なにに比ぶべき」とか、「深きみ法にあいまつる、身の幸なににたとうべき」と歌われているからです。

親鸞会は、この親鸞聖人のみ教えを信奉し、お伝えする親鸞学徒の集まりです。

この明らかな阿弥陀仏の救いを、親鸞会のウェブサイトでも学ぶことが出来ます。

親鸞聖人が明らかにされた完成・卒業のある信心|親鸞会

親鸞聖人が90年のご生涯、命を懸けて教えられたことは、ただ信心一つでした。これを蓮如上人は、有名な「聖人一流の章」の冒頭に、「聖人一流の御勧化の趣は、信心をもって本とせられ候」と喝破されています。
徹底検証 三業安心と十劫安心|親鸞会

浄土真宗の歴史から、教訓とすべき信仰の問題が三業安心と十劫安心です。
信心獲得するとどのようにハッキリするのか|親鸞会

阿弥陀仏の本願に救い摂られたことを信心獲得と言いますが、信心獲得するとどのように変わるのか、どうハッキリするのか、親鸞会では詳しく解説をしています。

親鸞会で雑行の正しい意味が分かる

どうすれば阿弥陀仏の救いにあえるのか。信心決定できるのか。
親鸞聖人の教えを聞き求める人にとって、最も知りたいことです。

それに対する親鸞聖人のお答えは、「捨自帰他(自力を捨てて、他力に帰せよ)」以外にないことを、親鸞会では親鸞聖人の教えをもって、ハッキリとお示ししております。

これを自他力廃立(じたりきはいりゅう)といいます。

「廃立」とは「捨てもの」と「立てるもの」ということです。

覚如上人は、

「真宗の門においては幾度も廃立を先とせり」(改邪鈔)

と、親鸞聖人の教えは「廃立」であることを明らかにされています。

では何を捨てよ、と言われるのでしょうか。朝晩、親鸞学徒が拝読している『御文章』や『領解文』で蓮如上人は、

「もろもろの雑行・雑修・自力の心をふり捨てて」

と雑行・雑修・自力の心だと繰り返されています。

「雑行・雑修・自力の心」が廃らなかったら、阿弥陀仏の救済にあずかることは絶対にできないからです。

雑行の本義は諸善万行です。
雑修は五正行(阿弥陀仏に向かっての、読誦、観察、礼拝、称名、讃嘆供養の五つの正しい行)、すなわち朝晩の勤行のことです。

善をしなかったら善い果報はきませんし、勤行は大いに励まなければならない行です。

なのに、なぜ「雑行・雑修」と嫌われ、「捨てよ」と言われているのでしょうか。

ここを親鸞会では、徹底して明らかにしております。

それは、偏に自力の心で行うからです。

ですから、「雑行・雑修を捨てよ」と言われるのは、諸善や五正行の勤行などをやめよ、捨てよ、ということではなく、「自力の心を捨てよ」ということなのです。

この自力の心が分からないから、「雑行を捨てよ」を「善を捨てよ」という意味だと誤解し、「親鸞聖人の教えに、善の勧めはない」「善を勧めるのは間違いだ」など、馬鹿げたことを言い出すのです。

他力を真実(真)、自力を方便(仮)とも教えられています。
真実が知らされなかったら、方便は絶対分からないように、自力の心は、他力に入らなかったら絶対に分かるものではありません。

阿弥陀仏に救い摂られた一念に、自力(仮)と他力(真)が同時にハッキリ知らされるのです。

「真・仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す」(教行信証)

親鸞聖人が断言されているように、真仮が分かっていないのは、いまだ救われていないからなのです。

親鸞会は、「方便など不要だ」「善を勧めるのは間違いだ」などという者たちのバカバカしい放言の誤りを指摘し、正しい親鸞聖人の教えを明示して、本当の仏教を明らかにお伝えしていくのみです。

このような親鸞聖人の教えについての誤解と、正しい意味を、インターネットで学ぶことができます。

浄土真宗親鸞会の公式ホームページでは、これまで幾度にもわたって雑行・雑修・自力の心について解説をして参りました。過去に掲載した親鸞会公式ホームページの記事を振り返ってみましょう。

>> 「雑行捨てよ」と「修善の勧め」|親鸞会 公式ホームページ

現今の浄土真宗崩落の惨状は、”雑行捨てよ” の教えを”善を捨てよ”と誤解したのが、大きな要因の一つであることは間違いありません。しかし、なによりも「雑行捨てよ」の正しい意味を教え切らなかった僧職の、重大な責任を指摘せざるをえないことが論じられています。

>> 「雑行」が分からぬのは なぜか|親鸞会 公式ホームページ

後生の一大事が分からなければ、〝後生助かりたい〟とも思わないし、それを助ける阿弥陀仏の本願も分かるはずがありません。これでは全く仏法が始まらないから、阿弥陀仏の本願に遇わせるのが目的だったお釈迦様は、45年間の説法ほとんどを、後生の一大事を知らせるためになされたのです。

>> 雑行雑修自力の心とはどんなものか|親鸞会 公式ホームページ

浄土真宗で絶対捨てねば助からぬと言われる「雑行・雑修・自力の心」とは、どんなものか、高森顕徹先生が答えて下されたことを紹介しております。

>> 後生の一大事が問題にならねば、「雑行」は絶対に分からない|親鸞会 公式ホームページ

蓮如上人も「雑行(ぞうぎょう)を捨てよ」とは、書かれているが「信仰が進むから、善をしなさい」とは、書いておられないのではないか。だから、善を勧める親鸞会は間違いであり、善をすれば助かるという諸行往生だ。このように親鸞会に対して言ってくる人がありますが、果たして正しい非難と言えるでしょうか?「善を勧めるのは間違い」という人たちの誤りがどこにあるのか、親鸞会は徹底して明らかにします。

>> 雑行が廃らぬ|親鸞会 公式ホームページ

後生助かりたいの思いもなく、真剣に諸善もせず、阿弥陀仏一仏にも向かってない人に、雑行を棄てよと言っても、分からないのが当然です。雑行と言われるものが、問題になるところまで進んでいないからです。では、なぜ真剣に諸善もせず、阿弥陀仏一仏にも向かないのかと言えば、後生の一大事が問題になっていないからである。親鸞会では、後生の一大事を詳しく解説し、救いの道を親鸞聖人のお言葉で明らかにお示ししています。

>> 寝ていて転んだためしなし 裸で物を落とした者もなし|親鸞会 公式ホームページ

なぜ現今の浄土真宗の人達は後生が問題にならず諸善に向かわないのか。それは、三世因果の道理が教えられていないからです。先ず、お釈迦様が因果の道理を説かれ、廃悪修善を徹底されたのはそのためでした。しかもそれはお釈迦様の勝手な判断でなく、本師本仏の阿弥陀仏が誓われた救済の要門だからなのです



親鸞会.NETでは、“「雑行を捨てよ」の真意”と題して、10回にわたって浄土真宗でいわれる雑行の正しい意味を明らかにしています。
親鸞会.NETに掲載された内容を、簡単にまとめましたので、下記のページをご覧ください。

>> 親鸞会.NET|「雑行を捨てよ」の真意 を読む



親鸞会発行の顕正新聞では、親鸞聖人の教えを学ぶ皆さんに、正しく教えを知っていただくために、親鸞聖人のお言葉を分かりやすく解説しています。
親鸞聖人の教えを理解するキーワードといわれる「雑行」の意味が、誰にでも分かるマンガで連載されたことがありました。
この「親鸞会の仏教講座 ひまわり日記でこんにちは」にも載せてありますので、ぜひご覧ください。

>> 親鸞会|雑行・雑修・自力の心|マンガ解説|もくじ