カテゴリー : 親鸞会更新情報

親鸞会の顕正新聞に連載「『ひらく』後 真実開顕へ刻む時」|親鸞会

高森顕徹先生著『歎異抄をひらく』の発刊から5年の月日が経過した。
最も多くの人に読まれている仏教書『歎異抄』は、これまで自由奔放な解釈が横行し、著者の意図に反して、親鸞聖人の教えを誤解させる結果を招いた。

『歎異抄をひらく』は、これまでの歎異抄解釈の誤りを、親鸞聖人の主著『教行信証』を物差しとして正した本である。

平成20年3月に発刊されて以降、それまで毎年、10冊以上出ていた『歎異抄』解説本がピタリと出なくなった。
それから5年、現在、23万部を突破し、名実ともに『歎異抄』解釈の決定版として、多くの人に親しまれている。

この5年の沈黙は何を意味するのか、親鸞会が発行する顕正新聞に、分かりやすく解説されている。

 

第1回:「地方のある住職会議で」の巻

『歎異抄をひらく』の発刊以降、『歎異抄』の解説書が1冊も出なくなって5年が経過しようとしている。いったい何が起きているのだろうか。地方で開かれている住職会議で、こんなことが問題になっている。

http://www.shinrankai.or.jp/b/kizamutoki/kizamu-comic01.htm

 

第2回:「地方のある住職会議で②」の巻

「誰でも彼でも念仏を称えることによって、本当の幸福を得て、お浄土に参らせていただく」という本願寺総長の説教は、称名正因の異安心。親鸞聖人のみ教えは「信心正因」であることは『教行信証』で明らかである。親鸞会では、常に「信心正因 称名報恩」の親鸞聖人のみ教えを、親鸞聖人のお言葉で明らかにしている。

http://www.shinrankai.or.jp/b/kizamutoki/kizamu-comic03.htm

 

第3回:「地方のある住職会議で③」の巻

“『歎異抄をひらく』には、親鸞聖人の書かれた『教行信証』をものさしに『歎異抄』の意味が解説されている。これによって、多く誤解されてきた『歎異抄』の文章が、正しく理解できるようになった。親鸞聖人のお言葉で教えを明らかにされた『歎異抄をひらく』への反論は、親鸞聖人への反論となるのである。

http://www.shinrankai.or.jp/b/kizamutoki/kizamu-comic05.htm

 

第4回:「親鸞聖人の歓喜の証言」の巻

阿弥陀仏に救い摂られた親鸞聖人の歓喜の証言が、主著『教行信証』にハッキリと記されている。一念で鮮やかに救い摂ってくださるのが弥陀の救いなのである。阿弥陀仏の救いは「いつとはなし」というのは、親鸞聖人の教えではない。

http://www.shinrankai.or.jp/b/kizamutoki/kizamu-comic07.htm

 

第5回:「平生の一念でハッキリする」の巻

阿弥陀仏の救いは、「いつとはなし」というのは親鸞聖人の教えではない。平生の一念でハッキリすることを親鸞聖人は明快に教えておられる。

http://www.shinrankai.or.jp/b/kizamutoki/kizamu-comic09.htm

 

第6回:「断言できない親鸞聖人のお言葉はない」の巻

親鸞聖人の教えについて、「私はこう思う」「私はこう考える」と私見を平気で語る者がいる。親鸞聖人の教えはお聖教に明らかである。断言できない親鸞聖人の教えはないのである。

http://www.shinrankai.or.jp/b/kizamutoki/kizamu-comic11.htm

 

第7回:「怒濤の光輪」の巻

親鸞聖人のお言葉を提示し、その意味を懇切丁寧に解説されている『歎異抄をひらく』を読むことで、正しい親鸞聖人のみ教えを知ることができる。これまでの歎異抄解釈の誤りを正し、反論もなく5年が経過したことに深く、重い意味がある。

http://www.shinrankai.or.jp/b/kizamutoki/kizamu-comic13.htm

 

親鸞会では、全国各地で親鸞聖人の教えが分かる仏教講座を開催しています。有名な『歎異抄』や『正信偈』の意味を、講座で知ることが出来ます。詳しい日程や会場をお知りになりたい方は、親鸞会 公式ホームページの仏教講座の案内をご覧ください。

 

親鸞会の顕正新聞で楽しく学べる仏教の言葉「ほんまでっか」シリーズ

親鸞会の顕正新聞に「ほんまでっか」というちょっと変わったタイトルのコーナーがある。

関西弁でやりとりされる会話の中で、よく知られる仏教の言葉をとりあげ、正しい意味を解説する連載である。

平成24年3月からスタートした月2回の連載は、今月で14回を数える。

これまで取り上げられたテーマと、内容が全部読める親鸞会公式ホームページへのリンクを紹介しよう。

 

第1回:「往生」=「困った」?

「往生」という言葉は、世間でもよく用いられる仏教の言葉である。ところが、「往生」という言葉は、一般に「困った」とか「弱った」という意味で使われている。これは完全に誤用である。「往生」は仏教の言葉だから、その意味は、仏教によらなければならない。では、本来は、どんな意味を持つ言葉なのだろうか?なにわの夫婦の会話から学ぶことができます。

http://www.shinrankai.or.jp/b/honmadekka/20120301oujou.htm

 

第2回:袖触れ合うも多生の縁

「袖触れ合うも多生の縁」ということわざがある。その中の「多生の縁」とはどんなことなのだろう?「多少」ではなく「多生」と書かれている。幾度となく生まれ変わり死に変わり、果てしなく繰り返してきた過去を持つ私たちだから、多生なのだ。果てしない歴史を持つ私の生命が、人間に生まれてわずかであっても縁があったのは、「多生の縁」あってのことなのだよ、と教えられる。詳しくは、楽しいなにわの夫婦の会話で知ることが出来る。

http://www.shinrankai.or.jp/b/honmadekka/20120315tashounoen.htm

 

第3回:施しは幸せのタネ

「旦那」という言葉は、もともと仏教から出た言葉である。「おたくの旦那様は……」「うちの旦那はねぇ……」と、近所の井戸端会議でよく聞かれる。どんな由来があって、「旦那」という言葉が使われるようになったのだろうか?なにわの夫婦の会話で「旦那」の意味が分かります。

http://www.shinrankai.or.jp/b/honmadekka/20120401shiawasenotane.htm

 

 第4回:人間は煩悩の塊!?

「煩悩」とは、私たちを煩わせ、悩ませるもので、一人に108つあると説かれる。これを108の煩悩と言われる。108の煩悩の中でも、特に恐ろしいのが欲、怒り、愚痴の3つで、これを三毒の煩悩と言う。人間はこれら煩悩の塊といわれるのだが、どんなことなのか?高校生の2人が何やら会話をしているので聞いてみよう。

 

第5回:これも自因自果なんやろか

仏教の根幹は、因果の道理。私たちの運命は何によって決まるのか、お釈迦様が明らかにされた教えである。善因善果、悪因悪果、自因自果と説かれ、善い原因は善い結果を生み出す、悪い原因は悪い結果を引き起こす、自分が蒔いた種は、自分が刈り取らなければならない、ということだ。これはいつでもどこでも変わらぬ大宇宙の真理。しかし、悪いことが起きたときは、なかなか悪因悪果、自因自果とは思えないもの。なにわの夫婦の会話に学んでみよう。

http://www.shinrankai.or.jp/b/honmadekka/20120501jiinjika.htm

 

第6回:流転輪廻って何? 

仏教に「流転輪廻(るてんりんね)」という言葉がある。輪廻とは、車がグルグルと際限なく回り続けるように、キリもキワもないことだ。仏教では、私たち人間の迷っている姿を表している言葉だ。いったい、どんなことなのか、なにわの寿司屋の主人と客の会話に学ぼう。

http://www.shinrankai.or.jp/b/honmadekka/20120515rutenrinne.htm

 

第7回:一向専念ってなんでやねん

仏教の結論は、「一向専念無量寿仏」である。阿弥陀仏一仏に向け、阿弥陀仏だけを信じよ、と教えられた言葉だ。仏教には、いろいろな仏や菩薩、神が説かれているが、なぜ阿弥陀仏一仏なのだろう?なにわの町内会の班長と隠居の会話に学んでみよう。

http://www.shinrankai.or.jp/b/honmadekka/20120601ikkousennen.htm

 

第8回:後生ってほんまにあるの?

「死んだ後はない」という夫。しかし、友人の葬式では神妙な面持ちで「ご冥福をお祈りします」と言っていた。後生は本当にあるのか?ないのか?そこのところを、なにわの夫婦の会話に学んでみよう。

 

第9回:人生を楽しく渡す大船あり

「生きる=善いこと」が大前提だが、なぜそう言えるのだろうか?毎年、3万人以上の自殺者が出ている。大きな社会問題として、国会でも議論されているが、一向に解決に向かわない。社会保障や電話相談などを充実させることで、問題解決を図っているが、表面的な対策に過ぎない。根本にある「なぜ自殺はいけないのか?」に答えなければ、自殺問題の真の解決に向かって前進することはないだろう。なにわの先生と生徒の会話に学ぶ。

http://www.shinrankai.or.jp/b/honmadekka/20120701taisen.html

 

第10回: 『御文章』とはどんなもの

浄土真宗では、朝晩の勤行で、親鸞聖人の『正信偈』と蓮如上人の『御文章』を拝読する。蓮如上人は、今から約500年前、室町時代に活躍された方で、親鸞聖人の教えを、最も正確に、最も多くの人に伝えられた。蓮如上人の『御文章』とは、どのようなものか、なにわの夫婦の会話に学んでみよう。

http://www.shinrankai.or.jp/b/honmadekka/20120715gobunsho.html

 

 第11回:「法泥棒」ではあかん!

昔から“法泥棒”と言って嫌われるのは、一体、どんなことなのか。なにわの夫婦の会話に学びます。

http://www.shinrankai.or.jp/b/honmadekka/20120801houdorobo.html

 

第12回:親鸞聖人のアニメはええなぁ

今日、世界の光と仰がれる親鸞聖人とはどんなお方だったのか?親鸞聖人のご生涯を分かりやすく描かれたアニメーションについてなにわの夫婦が会話をしています。聞いてみましょう。

http://www.shinrankai.or.jp/b/honmadekka/20120815animation.html

 

第13回:仏法に明日はない 報恩講は必ず

浄土真宗で最も大きな行事が「報恩講(ほうおんこう)」です。親鸞聖人の御恩に報いる集まり、ということですが、どんな行事なのでしょうか?なにわのご隠居と善吉の会話に学びましょう。

http://www.shinrankai.or.jp/b/honmadekka/20120915houonkou.html

 

第14回:私に私が分からん?

阿弥陀仏は本当にまします仏様なのか?それを問題にしている「私」とは何ものか、ハッキリしているだろうか?なにわの夫婦が、何やら話をしています。聞いてみましょう。

http://www.shinrankai.or.jp/b/honmadekka/20121101watashi.html

 

親鸞会の顕真学院の教授から学んだ日常生活の大切さ

富山県射水市にある親鸞会館で行なわれた日常生活に関する講義に、東京在住の親鸞学徒が参加しました。

講義参加者の挨拶や返事がガラッと変わり、今度は、親鸞会の顕真学院で、研修を受けたいという人もあったそうです。

どんなことを学んだのか、講義の感想をご紹介しましょう。


当たり前のことが当たり前にできる大切さが分かった

東京都 親鸞会会員 K.Nさん

日常生活が乱れると日々の活動にも影響し、様々な問題が発生すると教えて頂きました。

日常生活と言っても特別なことや難しいことではなく、挨拶や御礼状、見だしなみや身の回りの整理整頓という当たり前のことばかりです。

しかし当たり前のことなのに出来ていないことばかりで、当たり前のことを当たり前に出来るのはいかに難しいことかと知らされました。

教えてもらったことを1つでも2つでも実行し、人徳を身に付けたいと思います。


資産を築くとは、信用を築くこと

東京都 親鸞会会員 H.Sさん

親鸞会館での講義の中で、資産を築くとは信用を築くことだと教えてもらいました。

「一回くらいまあいいか」が積み重なってどれほどに信用を失い、自損損他の種まきをしてきたかと思うと恐ろしく思わずにいられませんでした。

当たり前のことを当たり前に実行できるよう、楽をしようという自分の心と闘い向上していきたいと思います。


「つもり」ではダメだと分かりました

東京都 親鸞会会員 I.Sさん

「~は大切なことである」と知った・判ったつもりでいた自分だと分かりました。

「つもり」だから、実際には、実行できていないことばかりでした。

短い期間の親鸞会館での講義でしたが、もっと詳しく学ばせて頂きたいという気持ちが強くなりました。

また、機会をみつけて、親鸞会の顕真学院の研修を受けたいと思います。


日常生活の基本の大切さを親鸞会での研修で知った

東京都 親鸞会会員 E.Mさん

親鸞会の顕真学院では、3歳児教育を教えているのです、と最初に教えて頂いたのが驚きました。

しかし、教えてもらう一つ一つのことを、自分に当てはめてみると、出来ていないことばかり。

日常生活で、こんな「当たり前のこと」も出来ていないのだと知らされ、さらに驚きました。

親鸞聖人の教えを求めていくことは、日常生活の基盤があってのことで、その日常生活がきちんとしなければ、いろいろの問題を起こし、マイナスになることがよく分かりました。

実は、先月会社を退職してから、1ヶ月、生活の見直しをずっとしていました。

退職理由は色々ありましたが、よくよく考えた所、結局は、自分の生活がうまく回っていなかったから、バランスが取れていなかったのだと気づいたからでした。

結婚してから家事の量が増え、仕事も任せられることが増えていきながら、恥ずかしながら時間管理がうまくできずストレスがたまっていたようです。

そこで、この一ヶ月、掃除する場所や家事でやることをピックアップし、整理し、スケジュールを立てて、それなりに実行していました。

しかし、一人で調べてやっていてもまだ無駄が多くあったと思います。

今回、親鸞会での研修で、時間管理、手帳の使い方のポイントを教えてもらいました。

是非すぐに実践したいと思います。


親鸞会で礼儀、挨拶、整理整頓の大切さを学びました

東京都 親鸞会会員 T.Kさん

短い期間でしたが、親鸞会の4人の教授から、講義を受け、本当に貴重な学びの時間でした。

礼儀・挨拶・身なり・整理・整頓・約束・時間などについて細かく教わりました。

たったの2日間で、しかも本来の学びの場である親鸞会の顕真学院ではないため、受け取るべきことが受け取れないマイナスもあることは重々承知の上での受講でしたが、本当にたくさんのものを受け取った思いでした。

2日間の親鸞会館での講義では得られなかったことは、改めて親鸞会での研修の場に参加し、身につけるように努力したいと思います。


生活即求道について親鸞会での研修で学んだ

東京都 親鸞会会員 M.Sさん

今回の親鸞会での研修で最も深く知らされたことは、生活即求道ということです。

朝晩、親鸞聖人の『正信偈』と蓮如上人の『御文章』を拝読する勤行を欠かさないということはもちろんですが、身なり、言葉遣い、整理整頓を当たり前にきちんとすることが、人から信用されるのにいかに重要かよくわかりました。

今後の生活態度を改めるチャンスと思って、改善に努めていきます。



親鸞会の顕真学院について、ブログでさらに詳しく知ることができます。

>> 浄土真宗 親鸞会の顕真学院のブログ

浄土真宗親鸞会の公式ホームページにも、親鸞会の顕真学院の研修に参加した感想が掲載されていますので、合わせてこちらもごらんください。

>> 親鸞会の顕真学院の研修に参加して

>> 行って良かった!! 親鸞会の顕真学院の研修

>> 親鸞会の顕真学院で短気研修 心地よかった!!

浄土真宗親鸞会の顕真学院が分かる

福井県あわら市に、浄土真宗親鸞会の顕真学院(けんしんがくいん)という施設があります。
「学院」とありますように、学ぶところです。

親鸞会の顕真学院では、親鸞聖人の教えのすばらしいことを知らされ、多くの人に知ってもらいたいと志を持った人が集い、学ぶところです。

親鸞会の顕真学院は、平成8年5月に落慶しました。
眼下には北潟湖が広がり、はるかに白山連峰を望む自然に恵まれた場所にあります。

平成11年1月には隣に新館が落成しました。

親鸞会の顕真学院では、現代の学校教育では教えられなくなった倫理道徳、徳育面が懇切丁寧に教えられます。

具体的には、時間や約束をしっかり守ること、正しい言葉づかい、金銭感覚について、掃除や洗濯の仕方、整理整頓、布団の敷き方やたたみ方、アイロンのかけ方など、日常生活全般にわたって、親鸞会の講師が教授として朝から晩まで、つきっきりで教えます。

団体生活になりますから、集団で行動する際に守らないといけないこと、相手への配慮や気配りについても学びます。

行動をともにしながら、お互いが切磋琢磨し、向上していけるように、気のついたことはその場で言い合うようにします。

親鸞会の顕真学院の夜は、その日をふりかえって、学んだこと、反省したことを日誌に書きます。

そうやって自己と向き合い、自分が向上していくにはどうすれば良いのか、悩みながら、工夫し、実践し、また反省し、その繰り返しの中で、一つ一つ身に付けていくのです。

慌ただしい普段の日常では、自分を見つめる時間はなかなかありません。「しまった」と思うような失敗をしても、深く反省をし、同じ過ちを繰り返さないためにはどうすれば良いのか、対策を講じることもないまま時間が過ぎ、同じ過ちを繰り返してしまうということが起きます。

親鸞会の顕真学院は、学院生として学んでいる間は、自己としっかり向き合って、自己を向上させるまたとない人生の貴重な機会です。

親鸞会で本当の親鸞聖人の教えに出遇い、仏法の教えを学ばれるようになった方は、日常生活で仏法の教えを実践していくことの大切さが分かるようになって参ります。

浄土真宗では、「朝晩のお勤めをちゃんとさせていただきましょう」と勧められますが、「お勤めの仕方がよく分からない」といわれる方は少なくありません。

親鸞会の顕真学院は、日々の聞法求道として勤行の仕方も丁寧に教えます。御仏壇の掃除、お仏飯をお盛りし、お供えをすること、お仏花のお供え、お供物はどのようにお供えすれば良いのか、についてはもちろんです。御仏前での立ち居振る舞い、お辞儀の仕方、勤行の節についても教わります。

どれだけ仏教のお言葉を覚えていても、日々の生活での実践がなければ意味がありません。また、誤った方法で実行しても、マイナスです。正しい方法を知り、なぜそのようにするのかを理解し、身につくまで実践していくことが大切です。

人間は、欲が深く、いつも楽をすることばかりを考えています。教えにしたがって、日々の生活において一つ一つのことを実践しようとすることは、まさに欲の心との戦いと言えましょう。このように、教えのままにしたがっていくことが、聞法であり、求道なのです。

「一番大切なことは、できるか、できないかという結果よりも、昨日よりは今日、今日よりは、明日、少しでも前進しよう、向上しようという心がけ、これが一番大事」と教えられます。

これまで、親鸞会の顕真学院で多くの人たちが学んでいきました。

1週間の親鸞会顕真学院の体験入学を終えた若者たちから、「学校では習わない、掃除や時間管理など日常生活の基礎を学びました」と、感謝の手紙が寄せられた中から、幾つかの感想を紹介しましょう。


親鸞会の顕真学院で友人と切磋琢磨

大阪府 T.Oさん

手帳の使い方について教えてもらったのは初めてでした。今まで、自分流でつけていましたが、相手に迷惑をかけないためにスケジュール管理をしっかり身に付けたいと思いました。
時間の管理、身だしなみなど、身の回りの一つ一つをきちんと正せば、心も体もガラリと変わるということが身をもってわかりました。
これまで、センスを磨いて、相手の立場に立てる人になるにはどうしたらいいか、今までいろいろ考えてもうまくいかなかった原因は、日常生活にあったと分かりました。
親鸞会の顕真学院の学院長をはじめ、教授の皆さんは、まるで家族のように温かく優しく接してもらいました。一緒に研修に参加した友だちも、日ごろは学校で勉強をしたり、遊んだりする仲間ですが、顕真学院で学んでいる間は、お互いに切磋琢磨できるライバルとして行動を共にしました。


1分1秒の大切さを親鸞会の顕真学院で学びました

京都府 M.Mさん

親鸞会の顕真学院では、1年365日が聞法求道であり、1分1秒が大事と教えてもらいました。
これまでは仏法の話を聞いている時だけが聞法だと思っていました。日常生活と仏教の教えとが別物だと思っていました。親鸞聖人の教えを求めることと日常生活とを区別して、自分が楽な方向へ流されていても気に留めることがありませんでした。「蒔かぬ種は生えぬ」といつも聞いているのですが、善い種を蒔かずに結果が出ないことに不平を抱いていた自分を恥ずかしく思います。
親鸞会で初めて仏教の教えを知り、親鸞聖人の教えの素晴らしさを教えてもらいながら、勿体ないことでした。親鸞会の顕真学院で学んだことを、これからの生活で実行していけるように心がけていきます。


信用は巨万の財産だと親鸞会の顕真学院で教えてもらいました

兵庫県 T.Mさん

親鸞会の顕真学院では特に、一つ一つの約束をおろそかにせず確実に実行することが、いかに大切かを知らされました。
約束を必ず守ってこそ信用となり、目には見えなくても、それは巨万の財産だと知りました。目に見える財産ばかり求める欲いっぱいの私ですが、約束は必ず守る人間になりたいと思います。
親鸞会の顕真学院の学院長はじめ多くの皆さんから、あたたかい言葉をたくさんかけてもらい、人生において貴重な1週間となりました。


親鸞会の顕真学院で向上心満ちる

岡山県 E.Aさん

常に向上しようという気持ちの大切さを親鸞会の顕真学院で学びました。
「自分はできている」と思えってしまえ、成長はそこで止まってしまうと知りました。
親鸞会の顕真学院は時間厳守で、今まで何気なくやり過ごした5分、10分という時間がとても貴重に思えました。
余裕を持って早めに行動するのが当たり前になり、感覚がどんどん磨かれていくのを感じました。日々の生活で、このようなことを学ぶことはなかったので、日常生活のことを時間をかけて教えてもらえる顕真学院の環境を有難く思いました。


親鸞会の顕真学院は自己を磨く最高の環境

京都府 S.Tさん

親鸞会の顕真学院で学んだ、一点の緩み、汚れも許さない生活は、今までの私の生活と懸け離れたものでした。起床時間は乱れがちで、掃除は気の向いた時だけ、といった生活でしたが、規則正しい生活を1週間だけでありましたが続けさせてもらって、その素晴らしさに感動しました。だらしない生活ではダメだと思いました。規律ある、真摯な生活にガラッと変えたいという気持ちが、今、あふれています。
これまで、耳で聞いて、日常生活の大切さ、それを学べる顕真学院の環境がすばらしいことを聞いてきましたが、実際に自分で1週間を過ごして、親鸞会の顕真学院での生活がいかに素晴らしいかが分かりました。親鸞聖人の教えを学び、求める親鸞学徒のあるべき日常を1週間、学べたことは生涯の宝となりました。本当にありがとうございました。
一人暮らしですが、自己の向き合って教えてもらったことを努めて実践していきたいと思います。


「誤りを犯さないことより直ちに改める」親鸞会の顕真学院で心構えを学んだ

茨城県 E.Rさん

親鸞会の顕真学院で、4日間の研修を受けました。
普段の仕事では、自分に仕事が務まるのか、ミスはしないか、他人からどう思われているだろうか、ということばかりを気にする毎日でした。
しかし、そのように思う心は、結局、仏教で教えられる卑下慢であり、自惚れ心の表れだということが知らされました。
ミスをしないように、ミスをしても見つからないように、叱られるのを避けるために、神経をすり減らしてきた日々でしたが、「誤りを犯さないことを誇りとするよりも、誤りを直ちに改めることを誇りとしよう」と教えていただいて、気持ちが切り替わりました。
親鸞会の顕真学院で研修を受けて、わずか4日間という短い期間でしたが、自分と向き合い、向上するご縁となりました。
掃除、洗濯、健康管理など、親鸞会の顕真学院で学んだすべては、人生の目的を果たす上で大切なことばかりと分かりました。親鸞聖人の教えを学ばせていただけることが、一層、喜びとなり、日常生活がそのまま聞法求道となるよう、光に向かって進ませていただきたいと思います。


親鸞会の顕真学院で学んだ仏法者としての当たり前

以前から、親鸞会の顕真学院での研修を受けたいと願っておりましたが、ようやく実現しました。
幸せでかけがえのない4日間でした。
起床、就寝、勤行、食事、すべてが規則正しく進む中で、親鸞聖人のみ教えを聞かせていただき、仏法者として生活即求道の大切さを、懇ろに教えていただきました。
生活全般にわたって、これまでいい加減であったことが分かり、深い反省と共に、正しいことを正しいと教えていただいたことで、かえってやる気と元気が出ました。
明るい未来が見えてきて、不思議な感覚でした。
三度の食事は、どれも美味しく、健康的で、農家の方が大切に作られた野菜など、感謝していただく心を学びました。
仏法の教えを聞かせていただいている人間としての当たり前を、1から教えていただくところが、親鸞会の顕真学院でした。
何から何まで整った恵まれた環境で学ばせていただいたことは、お金では換えられない生涯の宝となりました。
緑豊かな木立を抜けて、湖畔にたたずむ白亜の顕真学院、ひとたび足を踏み入れれば、身も心も、健康に、人間としてのあるべき姿を全身で学ばせていただくことができます。
親鸞会の顕真学院での学びは、自分を見つめなおす最良の勝縁と思います。学んだことを、日々の生活で実践していきます。



浄土真宗 親鸞会の顕真学院のブログがあり、顕真学院の日常を知ることが出来ます。

>> 浄土真宗 親鸞会 顕真学院のブログ

また、浄土真宗親鸞会の公式ウェブサイトにも、顕真学院で研修を受けた感想が掲載されていますので、そちらも合わせてご覧ください。

>> 親鸞会の顕真学院の研修に参加して

>> 行って良かった!! 親鸞会の顕真学院の研修

>> 親鸞会の顕真学院で短気研修 心地よかった!!