カテゴリー : マンガでわかる親鸞聖人の教え

親鸞会の顕正新聞に連載「『ひらく』後 真実開顕へ刻む時」|親鸞会

高森顕徹先生著『歎異抄をひらく』の発刊から5年の月日が経過した。
最も多くの人に読まれている仏教書『歎異抄』は、これまで自由奔放な解釈が横行し、著者の意図に反して、親鸞聖人の教えを誤解させる結果を招いた。

『歎異抄をひらく』は、これまでの歎異抄解釈の誤りを、親鸞聖人の主著『教行信証』を物差しとして正した本である。

平成20年3月に発刊されて以降、それまで毎年、10冊以上出ていた『歎異抄』解説本がピタリと出なくなった。
それから5年、現在、23万部を突破し、名実ともに『歎異抄』解釈の決定版として、多くの人に親しまれている。

この5年の沈黙は何を意味するのか、親鸞会が発行する顕正新聞に、分かりやすく解説されている。

 

第1回:「地方のある住職会議で」の巻

『歎異抄をひらく』の発刊以降、『歎異抄』の解説書が1冊も出なくなって5年が経過しようとしている。いったい何が起きているのだろうか。地方で開かれている住職会議で、こんなことが問題になっている。

http://www.shinrankai.or.jp/b/kizamutoki/kizamu-comic01.htm

 

第2回:「地方のある住職会議で②」の巻

「誰でも彼でも念仏を称えることによって、本当の幸福を得て、お浄土に参らせていただく」という本願寺総長の説教は、称名正因の異安心。親鸞聖人のみ教えは「信心正因」であることは『教行信証』で明らかである。親鸞会では、常に「信心正因 称名報恩」の親鸞聖人のみ教えを、親鸞聖人のお言葉で明らかにしている。

http://www.shinrankai.or.jp/b/kizamutoki/kizamu-comic03.htm

 

第3回:「地方のある住職会議で③」の巻

“『歎異抄をひらく』には、親鸞聖人の書かれた『教行信証』をものさしに『歎異抄』の意味が解説されている。これによって、多く誤解されてきた『歎異抄』の文章が、正しく理解できるようになった。親鸞聖人のお言葉で教えを明らかにされた『歎異抄をひらく』への反論は、親鸞聖人への反論となるのである。

http://www.shinrankai.or.jp/b/kizamutoki/kizamu-comic05.htm

 

第4回:「親鸞聖人の歓喜の証言」の巻

阿弥陀仏に救い摂られた親鸞聖人の歓喜の証言が、主著『教行信証』にハッキリと記されている。一念で鮮やかに救い摂ってくださるのが弥陀の救いなのである。阿弥陀仏の救いは「いつとはなし」というのは、親鸞聖人の教えではない。

http://www.shinrankai.or.jp/b/kizamutoki/kizamu-comic07.htm

 

第5回:「平生の一念でハッキリする」の巻

阿弥陀仏の救いは、「いつとはなし」というのは親鸞聖人の教えではない。平生の一念でハッキリすることを親鸞聖人は明快に教えておられる。

http://www.shinrankai.or.jp/b/kizamutoki/kizamu-comic09.htm

 

第6回:「断言できない親鸞聖人のお言葉はない」の巻

親鸞聖人の教えについて、「私はこう思う」「私はこう考える」と私見を平気で語る者がいる。親鸞聖人の教えはお聖教に明らかである。断言できない親鸞聖人の教えはないのである。

http://www.shinrankai.or.jp/b/kizamutoki/kizamu-comic11.htm

 

第7回:「怒濤の光輪」の巻

親鸞聖人のお言葉を提示し、その意味を懇切丁寧に解説されている『歎異抄をひらく』を読むことで、正しい親鸞聖人のみ教えを知ることができる。これまでの歎異抄解釈の誤りを正し、反論もなく5年が経過したことに深く、重い意味がある。

http://www.shinrankai.or.jp/b/kizamutoki/kizamu-comic13.htm

 

親鸞会では、全国各地で親鸞聖人の教えが分かる仏教講座を開催しています。有名な『歎異抄』や『正信偈』の意味を、講座で知ることが出来ます。詳しい日程や会場をお知りになりたい方は、親鸞会 公式ホームページの仏教講座の案内をご覧ください。

 

親鸞会で雑行の正しい意味が分かる

どうすれば阿弥陀仏の救いにあえるのか。信心決定できるのか。
親鸞聖人の教えを聞き求める人にとって、最も知りたいことです。

それに対する親鸞聖人のお答えは、「捨自帰他(自力を捨てて、他力に帰せよ)」以外にないことを、親鸞会では親鸞聖人の教えをもって、ハッキリとお示ししております。

これを自他力廃立(じたりきはいりゅう)といいます。

「廃立」とは「捨てもの」と「立てるもの」ということです。

覚如上人は、

「真宗の門においては幾度も廃立を先とせり」(改邪鈔)

と、親鸞聖人の教えは「廃立」であることを明らかにされています。

では何を捨てよ、と言われるのでしょうか。朝晩、親鸞学徒が拝読している『御文章』や『領解文』で蓮如上人は、

「もろもろの雑行・雑修・自力の心をふり捨てて」

と雑行・雑修・自力の心だと繰り返されています。

「雑行・雑修・自力の心」が廃らなかったら、阿弥陀仏の救済にあずかることは絶対にできないからです。

雑行の本義は諸善万行です。
雑修は五正行(阿弥陀仏に向かっての、読誦、観察、礼拝、称名、讃嘆供養の五つの正しい行)、すなわち朝晩の勤行のことです。

善をしなかったら善い果報はきませんし、勤行は大いに励まなければならない行です。

なのに、なぜ「雑行・雑修」と嫌われ、「捨てよ」と言われているのでしょうか。

ここを親鸞会では、徹底して明らかにしております。

それは、偏に自力の心で行うからです。

ですから、「雑行・雑修を捨てよ」と言われるのは、諸善や五正行の勤行などをやめよ、捨てよ、ということではなく、「自力の心を捨てよ」ということなのです。

この自力の心が分からないから、「雑行を捨てよ」を「善を捨てよ」という意味だと誤解し、「親鸞聖人の教えに、善の勧めはない」「善を勧めるのは間違いだ」など、馬鹿げたことを言い出すのです。

他力を真実(真)、自力を方便(仮)とも教えられています。
真実が知らされなかったら、方便は絶対分からないように、自力の心は、他力に入らなかったら絶対に分かるものではありません。

阿弥陀仏に救い摂られた一念に、自力(仮)と他力(真)が同時にハッキリ知らされるのです。

「真・仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す」(教行信証)

親鸞聖人が断言されているように、真仮が分かっていないのは、いまだ救われていないからなのです。

親鸞会は、「方便など不要だ」「善を勧めるのは間違いだ」などという者たちのバカバカしい放言の誤りを指摘し、正しい親鸞聖人の教えを明示して、本当の仏教を明らかにお伝えしていくのみです。

このような親鸞聖人の教えについての誤解と、正しい意味を、インターネットで学ぶことができます。

浄土真宗親鸞会の公式ホームページでは、これまで幾度にもわたって雑行・雑修・自力の心について解説をして参りました。過去に掲載した親鸞会公式ホームページの記事を振り返ってみましょう。

>> 「雑行捨てよ」と「修善の勧め」|親鸞会 公式ホームページ

現今の浄土真宗崩落の惨状は、”雑行捨てよ” の教えを”善を捨てよ”と誤解したのが、大きな要因の一つであることは間違いありません。しかし、なによりも「雑行捨てよ」の正しい意味を教え切らなかった僧職の、重大な責任を指摘せざるをえないことが論じられています。

>> 「雑行」が分からぬのは なぜか|親鸞会 公式ホームページ

後生の一大事が分からなければ、〝後生助かりたい〟とも思わないし、それを助ける阿弥陀仏の本願も分かるはずがありません。これでは全く仏法が始まらないから、阿弥陀仏の本願に遇わせるのが目的だったお釈迦様は、45年間の説法ほとんどを、後生の一大事を知らせるためになされたのです。

>> 雑行雑修自力の心とはどんなものか|親鸞会 公式ホームページ

浄土真宗で絶対捨てねば助からぬと言われる「雑行・雑修・自力の心」とは、どんなものか、高森顕徹先生が答えて下されたことを紹介しております。

>> 後生の一大事が問題にならねば、「雑行」は絶対に分からない|親鸞会 公式ホームページ

蓮如上人も「雑行(ぞうぎょう)を捨てよ」とは、書かれているが「信仰が進むから、善をしなさい」とは、書いておられないのではないか。だから、善を勧める親鸞会は間違いであり、善をすれば助かるという諸行往生だ。このように親鸞会に対して言ってくる人がありますが、果たして正しい非難と言えるでしょうか?「善を勧めるのは間違い」という人たちの誤りがどこにあるのか、親鸞会は徹底して明らかにします。

>> 雑行が廃らぬ|親鸞会 公式ホームページ

後生助かりたいの思いもなく、真剣に諸善もせず、阿弥陀仏一仏にも向かってない人に、雑行を棄てよと言っても、分からないのが当然です。雑行と言われるものが、問題になるところまで進んでいないからです。では、なぜ真剣に諸善もせず、阿弥陀仏一仏にも向かないのかと言えば、後生の一大事が問題になっていないからである。親鸞会では、後生の一大事を詳しく解説し、救いの道を親鸞聖人のお言葉で明らかにお示ししています。

>> 寝ていて転んだためしなし 裸で物を落とした者もなし|親鸞会 公式ホームページ

なぜ現今の浄土真宗の人達は後生が問題にならず諸善に向かわないのか。それは、三世因果の道理が教えられていないからです。先ず、お釈迦様が因果の道理を説かれ、廃悪修善を徹底されたのはそのためでした。しかもそれはお釈迦様の勝手な判断でなく、本師本仏の阿弥陀仏が誓われた救済の要門だからなのです



親鸞会.NETでは、“「雑行を捨てよ」の真意”と題して、10回にわたって浄土真宗でいわれる雑行の正しい意味を明らかにしています。
親鸞会.NETに掲載された内容を、簡単にまとめましたので、下記のページをご覧ください。

>> 親鸞会.NET|「雑行を捨てよ」の真意 を読む



親鸞会発行の顕正新聞では、親鸞聖人の教えを学ぶ皆さんに、正しく教えを知っていただくために、親鸞聖人のお言葉を分かりやすく解説しています。
親鸞聖人の教えを理解するキーワードといわれる「雑行」の意味が、誰にでも分かるマンガで連載されたことがありました。
この「親鸞会の仏教講座 ひまわり日記でこんにちは」にも載せてありますので、ぜひご覧ください。

>> 親鸞会|雑行・雑修・自力の心|マンガ解説|もくじ

親鸞会|雑行・雑修・自力の心|マンガ解説|もくじ

浄土真宗でよく読まれるお言葉に次の蓮如上人のお言葉があります。

もろもろの雑行・雑修・自力の心をふり捨てて、一心に「阿弥陀如来われらが今度の一大事の後生御たすけ候え」とたのみ申して候。たのむ一念のとき、往生一定・御たすけ治定とぞんじ、この上の称名は、御恩報謝と存じよろこび申し候。この御ことわり聴聞申しわけ候こと、御開山聖人御出世の御恩・次第相承の善知識の浅からざる御勧化の御恩と、有難くぞんじ候。この上は定めおかせらるる御掟、一期をかぎりまもり申すべく候。

はじめの「もろもろの雑行・雑修・自力の心をふり捨てて」の意味が、大変誤解されていますので、その正しい意味を、親鸞会では誰にでもわかるように解説しています。

大変大事なところなので、機関紙の『顕正新聞』でもマンガでわかりやすく解説されました。


「マンガ解説・雑行・雑修・自力の心」の目次

雑行・雑修・自力の心|マンガ解説1
雑行・雑修・自力の心|マンガ解説1~4
(親鸞会 顕正新聞 平成22年2月15日号掲載)

雑行・雑修・自力の心|マンガ解説2
雑行・雑修・自力の心|マンガ解説5~7
(親鸞会 顕正新聞 平成22年3月1日号掲載)

雑行・雑修・自力の心|マンガ解説3
雑行・雑修・自力の心|マンガ解説8~10
(親鸞会 顕正新聞 平成22年3月15日号掲載)

雑行・雑修・自力の心|マンガ解説4
雑行・雑修・自力の心|マンガ解説11~14
(親鸞会 顕正新聞 平成22年4月15日号掲載)

親鸞会|雑行・雑修・自力の心|マンガ解説14

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捨てよと言われる“自力”とは?
“自力を捨てよ”とは、善を捨てよ、善をやるな、ということではないのか?

親鸞会顕正新聞 雑行・雑修・自力の心 解説04-16

「“自力を捨てよ”は、“善を捨てよ”ではない。
浄土往生の役に立てようとする心を捨てよということだ!」

親鸞会顕正新聞 雑行・雑修・自力の心 解説04-17

「因果の道理は大宇宙の真理。だから救われる前も後も、一貫して諸善が勧められるのは当然よ」

親鸞会顕正新聞 雑行・雑修・自力の心 解説04-18

「ただ、それを浄土往生の役に立てようとする自力の心でやると、“雑行”と嫌われ、自力の心が一念で廃って他力になれば、同じ行為が報恩感謝の行になるのです」

親鸞会顕正新聞 雑行・雑修・自力の心 解説04-19

「捨てものは“善”ではない。“自力の心”だ!迷海、もっとよく教えを聞いてから、物を言いなさい」

親鸞会顕正新聞 雑行・雑修・自力の心 解説04-20

「親鸞聖人は、自力の心を無明の闇とも言われ、自力は、阿弥陀仏(智恵光仏)のお力によってのみ廃ることを教えられています」

無明の闇を破するゆえ
智慧光仏となづけたり
一切諸仏三乗衆
ともに嘆誉したまえり
(浄土和讃)


「だから大宇宙の諸仏や菩薩が皆、褒めたたえるのね」

親鸞会顕正新聞 雑行・雑修・自力の心 解説04-21

「善導大師は、“利剣即是弥陀名号”と言われています。弥陀の名号という、もの凄い切れ味の刀で、自力は一念で切り捨てられるのです」

「弥陀の名号とは、南無阿弥陀仏のことよ。弥陀よりこの南無阿弥陀仏を賜った一念に自力が廃って他力に帰するのです」

親鸞会顕正新聞 雑行・雑修・自力の心 解説04-22

「さあさあ迷海どの、もっと教えを聞きましょう」

「改むるに憚ることなかれ、ですぞ」

めでたし・完



「雑行・雑修・自力の心」について正しい理解が大切です。
よくよく聞かせていただきましょう。



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親鸞会|雑行・雑修・自力の心|マンガ解説13

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捨てよと言われる「自力」について、正しい意味を学びましょう。

親鸞会顕正新聞 雑行・雑修・自力の心 解説04-13

「捨てよと言われる“自力”とは」

身・口・意の乱心を繕い、めでとうしなして浄土へ往生せんと思うを自力と申すなり(末灯鈔)

親鸞会顕正新聞 雑行・雑修・自力の心 解説04-14

「親鸞聖人は、浄土へ往生しようとして、身・口・意を善くしようとするのを自力の心、と言われているわ」

「だから、身・口・意を善くしようとしてはいかんのだろう」

親鸞会顕正新聞 雑行・雑修・自力の心 解説04-15

「そこが違う」

「だれ?」

「F?」

「まさか、おじさん?」



迷海は、「身・口・意を善くしようとしてはいけない」と主張している。
そこへ現れた謎のキャラクター・・・。

ハッキリと「違う!」と断言。
迷海の誤りは、どこにあるのか??



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