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親鸞会で雑行の正しい意味が分かる|親鸞会の仏教講座

どうすれば阿弥陀仏の救いにあえるのか。信心決定できるのか。
親鸞聖人の教えを聞き求める人にとって、最も知りたいことです。

それに対する親鸞聖人のお答えは、「捨自帰他(自力を捨てて、他力に帰せよ)」以外にないことを、親鸞会では親鸞聖人の教えをもって、ハッキリとお示ししております。

これを自他力廃立(じたりきはいりゅう)といいます。

「廃立」とは「捨てもの」と「立てるもの」ということです。

覚如上人は、

「真宗の門においては幾度も廃立を先とせり」(改邪鈔)

と、親鸞聖人の教えは「廃立」であることを明らかにされています。

では何を捨てよ、と言われるのでしょうか。朝晩、親鸞学徒が拝読している『御文章』や『領解文』で蓮如上人は、

「もろもろの雑行・雑修・自力の心をふり捨てて」

と雑行・雑修・自力の心だと繰り返されています。

「雑行・雑修・自力の心」が廃らなかったら、阿弥陀仏の救済にあずかることは絶対にできないからです。

雑行の本義は諸善万行です。
雑修は五正行(阿弥陀仏に向かっての、読誦、観察、礼拝、称名、讃嘆供養の五つの正しい行)、すなわち朝晩の勤行のことです。

善をしなかったら善い果報はきませんし、勤行は大いに励まなければならない行です。

なのに、なぜ「雑行・雑修」と嫌われ、「捨てよ」と言われているのでしょうか。

ここを親鸞会では、徹底して明らかにしております。

それは、偏に自力の心で行うからです。

ですから、「雑行・雑修を捨てよ」と言われるのは、諸善や五正行の勤行などをやめよ、捨てよ、ということではなく、「自力の心を捨てよ」ということなのです。

この自力の心が分からないから、「雑行を捨てよ」を「善を捨てよ」という意味だと誤解し、「親鸞聖人の教えに、善の勧めはない」「善を勧めるのは間違いだ」など、馬鹿げたことを言い出すのです。

他力を真実(真)、自力を方便(仮)とも教えられています。
真実が知らされなかったら、方便は絶対分からないように、自力の心は、他力に入らなかったら絶対に分かるものではありません。

阿弥陀仏に救い摂られた一念に、自力(仮)と他力(真)が同時にハッキリ知らされるのです。

「真・仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す」(教行信証)

親鸞聖人が断言されているように、真仮が分かっていないのは、いまだ救われていないからなのです。

親鸞会は、「方便など不要だ」「善を勧めるのは間違いだ」などという者たちのバカバカしい放言の誤りを指摘し、正しい親鸞聖人の教えを明示して、本当の仏教を明らかにお伝えしていくのみです。

このような親鸞聖人の教えについての誤解と、正しい意味を、インターネットで学ぶことができます。

浄土真宗親鸞会の公式ホームページでは、これまで幾度にもわたって雑行・雑修・自力の心について解説をして参りました。過去に掲載した親鸞会公式ホームページの記事を振り返ってみましょう。

>> 「雑行捨てよ」と「修善の勧め」|親鸞会 公式ホームページ

現今の浄土真宗崩落の惨状は、”雑行捨てよ” の教えを”善を捨てよ”と誤解したのが、大きな要因の一つであることは間違いありません。しかし、なによりも「雑行捨てよ」の正しい意味を教え切らなかった僧職の、重大な責任を指摘せざるをえないことが論じられています。

>> 「雑行」が分からぬのは なぜか|親鸞会 公式ホームページ

後生の一大事が分からなければ、〝後生助かりたい〟とも思わないし、それを助ける阿弥陀仏の本願も分かるはずがありません。これでは全く仏法が始まらないから、阿弥陀仏の本願に遇わせるのが目的だったお釈迦様は、45年間の説法ほとんどを、後生の一大事を知らせるためになされたのです。

>> 雑行雑修自力の心とはどんなものか|親鸞会 公式ホームページ

浄土真宗で絶対捨てねば助からぬと言われる「雑行・雑修・自力の心」とは、どんなものか、高森顕徹先生が答えて下されたことを紹介しております。

>> 後生の一大事が問題にならねば、「雑行」は絶対に分からない|親鸞会 公式ホームページ

蓮如上人も「雑行(ぞうぎょう)を捨てよ」とは、書かれているが「信仰が進むから、善をしなさい」とは、書いておられないのではないか。だから、善を勧める親鸞会は間違いであり、善をすれば助かるという諸行往生だ。このように親鸞会に対して言ってくる人がありますが、果たして正しい非難と言えるでしょうか?「善を勧めるのは間違い」という人たちの誤りがどこにあるのか、親鸞会は徹底して明らかにします。

>> 雑行が廃らぬ|親鸞会 公式ホームページ

後生助かりたいの思いもなく、真剣に諸善もせず、阿弥陀仏一仏にも向かってない人に、雑行を棄てよと言っても、分からないのが当然です。雑行と言われるものが、問題になるところまで進んでいないからです。では、なぜ真剣に諸善もせず、阿弥陀仏一仏にも向かないのかと言えば、後生の一大事が問題になっていないからである。親鸞会では、後生の一大事を詳しく解説し、救いの道を親鸞聖人のお言葉で明らかにお示ししています。

>> 寝ていて転んだためしなし 裸で物を落とした者もなし|親鸞会 公式ホームページ

なぜ現今の浄土真宗の人達は後生が問題にならず諸善に向かわないのか。それは、三世因果の道理が教えられていないからです。先ず、お釈迦様が因果の道理を説かれ、廃悪修善を徹底されたのはそのためでした。しかもそれはお釈迦様の勝手な判断でなく、本師本仏の阿弥陀仏が誓われた救済の要門だからなのです



親鸞会.NETでは、“「雑行を捨てよ」の真意”と題して、10回にわたって浄土真宗でいわれる雑行の正しい意味を明らかにしています。
親鸞会.NETに掲載された内容を、簡単にまとめましたので、下記のページをご覧ください。

>> 親鸞会.NET|「雑行を捨てよ」の真意 を読む



親鸞会発行の顕正新聞では、親鸞聖人の教えを学ぶ皆さんに、正しく教えを知っていただくために、親鸞聖人のお言葉を分かりやすく解説しています。
親鸞聖人の教えを理解するキーワードといわれる「雑行」の意味が、誰にでも分かるマンガで連載されたことがありました。
この「親鸞会の仏教講座 ひまわり日記でこんにちは」にも載せてありますので、ぜひご覧ください。

>> 親鸞会|雑行・雑修・自力の心|マンガ解説|もくじ

親鸞会.NET|親鸞会でわかる歎異抄解説書の比較対照

親鸞会では、毎月、『歎異抄』を解説された『歎異抄をひらく』について質疑応答をし、理解を深める座談会の御縁があります。
親鸞聖人といえば『歎異抄』といわれるほど有名ですが、実は『歎異抄』は親鸞聖人の書かれたものではありません。
大変な名文で書かれてあり、最も多くの人に読まれている仏教書と言われています。
しかし、他力信心(真実信心)と、親鸞聖人の教えを、よく理解している人が読まないと、とんでもない読み間違いをするところが多いので、今日、学者でも誤解し、誤った教えが常識のように言われています。
『歎異抄』の内容を正しく理解するには、あくまで親鸞聖人の主著である『教行信証』によらなければなりません。
そこで親鸞会では、有名な『歎異抄』を親鸞聖人のお言葉を物差しとして、正しく理解するための座談会を設け、それをインターネット回線を利用して、全国で多くの方が座談会に参加しておられます。
親鸞会.NETには、機関誌に掲載された『歎異抄』解説書の比較対照の内容が載っています。
ここにその内容を簡単に紹介したいと思います。 詳しくは、リンクを通じて親鸞会.NETをご覧ください。


第1回:「ただ念仏して」の誤解を正す|親鸞会.NET

親鸞におきては、「ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべし」と、よき人の仰せを被りて信ずるほかに、別の子細なきなり。 (『歎異抄』2章)

この「ただ」の誤解が甚だしい。
ここを「ただ口で、南無阿弥陀仏と称えて」と理解して、「親鸞聖人は、ただ念仏を称えて救われたのだ」と思っている人が非常に多いのです。
山崎龍明氏の『歎異抄』解説を引用し、いかに誤解されている箇所か、親鸞会.NETで解説しています。
ここを誤解すれば、親鸞聖人の教えを全部誤解することになります。 親鸞聖人が直に筆をもって書かれたお言葉で正確に理解しましょう。

>> 「ただ念仏して」の誤解を正す


第2回:「弥陀の本願まことにおわしまさば」の誤解を正す|親鸞会.NET

弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。 (『歎異抄』2章)

『歎異抄』2章の「弥陀の本願まことにおわしまさば」を、「阿弥陀仏の本願が、まことであるとするならば」と理解する人が意外に多くあります。親鸞会.NETで、この一文の誤解を取り上げ、山崎龍明氏や佐藤正英氏などの『歎異抄』解説を引用して、その誤りを正しています。

>> 「弥陀の本願まことにおわしまさば」の誤解を正す


第3回:「急ぎ仏になりて」の誤解を正す|親鸞会.NET

浄土の慈悲というは、念仏して急ぎ仏になりて、大慈大悲心をもって思うがごとく衆生を利益するをいうべきなり。 (中略) しかれば念仏申すのみぞ、末徹りたる大慈悲心にて候べき (『歎異抄』4章)

『歎異抄』のこの「急ぎ仏になりて」を「死に急ぐ」ことだと解釈する学者が少なくありません。 もし「浄土の慈悲」が、急いで仏になって衆生済度することであれば、仏になるのは死んで阿弥陀仏の浄土へ往ってからですから、早く死ななければ 「浄土の慈悲」はかなわないことになります。
親鸞聖人は、どのような御心でこのようなことをおっしゃったのでしょうか。正しい意味を親鸞会.NETで解説しています。

>> 「急ぎ仏になりて」の誤解を正す


第4回:歎異抄第1章の「往生」は「新しい生活」のこと?|親鸞会.NET

「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて」 (『歎異抄』1章)

真宗大谷派 (京都・東本願寺)の研究交流施設である親鸞仏教センターの出した『歎異抄』一章冒頭の解説に、 「人間の思慮を超えた阿弥陀仏の本願の大いなるはたらきにまるごと救われて、新しい生活を獲得できると自覚して…」 とありました。
「往生をばとぐる」を「新しい生活を獲得できる」と解釈されているのですが、一体、「新しい生活」とはどんな“生活”なのでしょうか?
「往生」の正しい意味を理解されているのか疑問に思うところです。

>> 歎異抄第1章の「往生」は「新しい生活」のこと?


第5回:「ただ信心を要とす」の「信心」の誤解を正す|親鸞会.NET

「弥陀の本願には老少善悪の人をえらばず、ただ信心を要とすと知るべし」 (『歎異抄』一章)

この一文にある「ただ信心を要とす」は一般にどのように解釈されているのでしょうか?

・阿弥陀仏の本願は、年齢とか、人間の善し悪しにかかわらず、阿弥陀仏の真実に深くうなずくことが最も大切です。
・ただ信心が肝心なのです。信心さえすれば、どんな人でも阿弥陀さまは救ってくださるのです。
・如来の本願に目覚めるこころ

など、解釈はバラバラで、意味もよくわかりません。 親鸞聖人のお言葉によって、この『歎異抄』第1章の意味は明らかになります。
親鸞会.NETで詳しく解説しています。

>> 「ただ信心を要とす」の「信心」の誤解を正す


第6回:「他の善も要にあらず」の誤解で真宗凋落|親鸞会.NET

しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきがゆえに
(『歎異抄』一章)


「本願を信ぜんには」を、弥陀の本願を信じるには、と解釈する学者が多い。そのため、「他の善も要にあらず」をもって「善をする必要はない」という者までいる始末です。これでは、仏教を破壊することになります。
「本願を信ぜんには」とは、どのような意味なのか、親鸞会ではハッキリとお伝えしています。詳しくは、親鸞会.NETに詳しく書かれてあります。

>> 「他の善も要にあらず」の誤解で真宗凋落


第7回:なぜ東大教授も誤読したのか|親鸞会.NET

「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐるなり」と信じて「念仏申さん」と思いたつ心のおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり」
(『歎異抄』第一章)


かつて親鸞研究の第一人者として、自他ともに認める東大教授が、この一節を誤読して、大きな問題を起こしたことがあります。
氏は、ここを「心から阿弥陀仏の救いを信じて念仏をとなえれば、ただ一度の念仏で極楽往生が約束される」と解釈し、高校の教科書『詳説日本史』にもそう記したのが発端でした。
親鸞聖人の教えは漢字4字で「信心為本」「唯信独達」と言われるように、信心一つで助かるという教えです。教授のみならず、多くの学者が誤読しているところでもあります。
親鸞会.NETで比較対照してみましょう。

>> なぜ東大教授も誤読したのか


第8回:『歎異抄』と二種深信|親鸞会.NET

「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐるなり」と信じて「念仏申さん」と思いたつ心のおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり
(『歎異抄』第1章)


第一章冒頭の「往生をば遂ぐるなりと信じて」の「信じて」を、ほとんどの解説書が、そのまま「信じて」と現代語訳しています。
しかし、ここで親鸞聖人のおっしゃる「信じて」は、常識的な「信じて」と根本的に異なります。
親鸞聖人の信心は、「二種深信」です。二種深信とは、正確には機法二種一具の深信ということで、「機」と「法」の二つのことが同時に、疑いなくハッキリ知らされたことをいいます。
詳しくは親鸞会.NETをご覧ください。

>> 『歎異抄』と二種深信


第9回:霧に包まれる「摂取不捨の利益」を親鸞会は明らかにする|親鸞会.NET

「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐるなり」と信じて「念仏申さん」と思いたつ心のおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり」
(『歎異抄』第1章)


『歎異抄』第1章の「摂取不捨の利益」とは、どんな意味なのか、他の『歎異抄』解説本と比較しながら、親鸞聖人の明らかにされた人生の目的について、親鸞会.NETで知ることができます。

>> 霧に包まれる「摂取不捨の利益」を親鸞会は明らかにする


第10回:弥陀の救い「無碍の一道」を親鸞会は明らかにする|親鸞会.NET

念仏者は無碍の一道なり。そのいわれ如何とならば、信心の行者には、天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたわず、諸善も及ぶことなきゆえに、無碍の一道なり、と云々。
(『歎異抄』第7章)


真宗大谷派(東本願寺)が、「聖人七百五十回御遠忌記念出版」として、シリーズ『親鸞』全10巻を刊行することになり、第1回として『親鸞の説法─「歎異抄」の世界』が発売されました。
そこに解説されている内容で、果たして『歎異抄』の真意が分かるのか、他の『歎異抄』解説本も引用しながら比較対照しています。
詳しくは、親鸞会.NETをごらんください。

>> 弥陀の救い「無碍の一道」を親鸞会は明らかにする


第11回:弥陀の救いは平生の一念であることを親鸞会は明らかにする|親鸞会.NET

「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐるなり」と信じて「念仏申さん」と思いたつ心のおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり」
(『歎異抄』第1章)


弥陀の救いの「一念」を親鸞聖人は、分秒にかからない「時尅の極促」と説かれています。「一念往生」(一念の救い)こそが、仏教の「肝要」であり「淵源」なのです。「肝要」も「淵源」も、仏教では唯一の大事であり、これ以上に重い言葉はありません。蓮如上人は『御文章』に60回以上も「一念」という言葉を記され、『御一代記聞書』には「たのむ一念の所肝要なり」と道破なされています。その「一念」ということについて、世の中の『歎異抄』解説本では、まったくふれられていません。親鸞会は常に、親鸞聖人の明らかにされた弥陀の一念の救いをハッキリとお伝えしています。

>> 弥陀の救いは平生の一念であることを親鸞会は明らかにする


第12回:『歎異抄』解説本を比較する意義|親鸞会.NET

「まったく自見の覚悟をもって、他力の宗旨を乱ることなかれ。よって故親鸞聖人の御物語の趣、耳の底に留むる所、いささかこれを註す」
(『歎異抄』序)


「決して勝手な判断によって、他力の真義を乱すことがあってはならない。このような願いから、かつて聖人の仰せになった、耳の底に残る忘れ得ぬお言葉を、わずかながらも記しておきたい」との親鸞聖人のお言葉です。弥陀の救いは信心一つか、念仏か、について山崎龍明氏の解説本と比較したいと思います。

>> 『歎異抄』解説本を比較する意義


第13回:「弥陀の本願まことにおわしまさば」の真意を親鸞会は明らかにする|親鸞会.NET

弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。
(『歎異抄』2章)


『歎異抄』2章の「弥陀の本願まことにおわしまさば」を、「もしも本願が、まことであるとするならば」と解釈する人が多くあります。
しかし、この章は、弥陀の誓願に疑いが生じた関東の同行が、「直に本当のところをお聞きしたい」と、京都にまします親鸞聖人を命として、決死の覚悟で訪ねた時に仰ったお言葉です。
弥陀の本願が「まことか、どうか」をお尋ねした同行に、親鸞聖人が「もし、まことであるならば」と仮定で語られたとすれば、何の解答にもなりません。なぜ、答えにならない答えをされたのか、解説者は説明に苦心してきました。
親鸞会.NETで詳しく解説を読んでみましょう。

>> 「弥陀の本願まことにおわしまさば」の真意とは


第14回:親鸞聖人の教えは「二益法門」であることを親鸞会は明らかにする|親鸞会.NET

「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐるなり」と信じて「念仏申さん」と思いたつ心のおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり」
(『歎異抄』第1章)


「弥陀の誓願不思議に助けられ」たとは、平生の一念に「摂取不捨の利益」に救われたことであり、「往生をば遂ぐる」とは、死んで弥陀の浄土へ往生することです。現在の救いを「現益(げんやく)」(現世の利益)、死後の救いを「当益(とうやく)」(当来の利益)といいます。弥陀の救いは、今生と死後と二度あるので、「現当二益(げんとうにやく)」といわれます。この現当二益について、親鸞会.NETで詳しく知ることができます。

>> 親鸞聖人の教えは「二益法門」


第15回:『歎異抄』第9章に表れる懺悔と歓喜を明らかにする親鸞会|親鸞会.NET

「念仏申し候えども、踊躍歓喜の心おろそかに候こと、また急ぎ浄土へ参りたき心の候わぬは、いかにと候べきことにて候やらん」と申しいれて候いしかば、「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房、同じ心にてありけり」
(『歎異抄』第9章)


ここは、実に多くの誤解された解釈がなされているところです。
唯円は2つのことを親鸞聖人にお尋ねしています。
「踊躍歓喜の心がない」ことと、「早く浄土へ往きたい心がない」ことの2つです。

親鸞仏教センター著『現代語 歎異抄』も、石田瑞麿著『歎異抄 その批判的考察』でも、親鸞聖人が唯円と同じ不審を持たれたのは、過去のことだと解説しています。本当にそうでしょうか?

佐藤正英著『歎異抄論註』では、親鸞聖人が本願どおりにならないことを嘆いた言葉だと解釈しています。これまたとんでもない解釈です。親鸞聖人の『歎異抄』を正確に読むには、あくまで親鸞聖人の書かれた『教行信証』によらなければなりません。『教行信証』の親鸞聖人のお言葉を物差しとして、親鸞会では、この『歎異抄』の真意を明らかにしています。詳しくは、親鸞会.NETをご覧ください。

>> 『歎異抄』第9章に表れる懺悔と歓喜を明らかにする親鸞会


第16回:「全く知らぬ」とおっしゃった親鸞聖人の真意とは|親鸞会.NET

念仏は、まことに浄土に生まるるたねにてやはんべるらん、また地獄に堕つる業にてやはんべるらん、総じてもって存知せざるなり
(『歎異抄』第2章)


この文章を、梅原猛氏の『誤解された歎異抄』では、
「念仏をすれば、本当に極楽浄土に生まれる種をまくということになるのでしょうか。それとも、それはうそ偽わりで、念仏すればかえって地獄におちるという結果になるのでしょうか。残念ながらそういうことは私はとんと知ってはいないのであります」
と解釈されています。

「総じてもって存知せざるなり」と『歎異抄』第2章にあるのを、文字どおり「全く知らない」と受け取って、「念仏は浄土に生まれる因やら、地獄に堕つる業やら、親鸞聖人も、まるで分かっておられなかったのだ」と誤解する人が多いのです。

同じ『歎異抄』の中に、親鸞聖人が、
「念仏のみぞまことにておわします」
とおっしゃっています。そんな矛盾したことを親鸞聖人がおっしゃるはずがありません。これは一体、どういうことなのか、親鸞会は、親鸞聖人の書かれたお言葉を物差しとして「総じてもって存知せざるなり」の真意を明らかにしています。

>> 「全く知らぬ」とおっしゃった親鸞聖人の真意とは|親鸞会.NET


第17回:「追善供養」の迷信を破られた親鸞聖人のお言葉|親鸞会.NET

親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したることいまだ候わず。そのゆえは、一切の有情は皆もって世々生々の父母兄弟なり。いずれもいずれも、この順次生に仏に成りて助け候べきなり。
(『歎異抄』第5章)


今の仏教はまさしく、葬式・法事の「追善仏教」です。「追善供養」を否定された親鸞聖人の『歎異抄』第5章は、日本仏教の全否定といえるでしょう。阿弥陀仏から私たちに与えてくださる「他力廻向」に対し、自分の励んだ善を亡くなった人に差し向け、助けようとするのを「自力廻向」といいます。この「自力廻向」を徹底して破られた方が、親鸞聖人でした。

世の中では葬式や法事、読経には功徳があると言って、現世や来世の幸福を祈祷します。しかし、どれだけ盛大な儀式をしても、念仏を称えても、亡くなった人は生前の自分の業で行き先が決まるのですから、他人にはどうすることもできないのです。親鸞会.NETで、ハッキリと知ることができます。

>> 「追善供養」の迷信を破られた親鸞聖人のお言葉


第18回:鬼気迫る対峙 親鸞聖人の慈誨|親鸞会.NET

おのおの十余ヶ国の境を越えて、身命を顧みずして訪ね来らしめたまう御志、ひとえに往生極楽の道を問い聞かんがためなり。
(『歎異抄』第2章)


鬼気迫る対峙が書かれてある章ですが、そのように解説している『歎異抄』解説本は、無いに等しいと言えるでしょう。殺気さえ覚えるほどの激しい親鸞聖人のお言葉が書かれてあるのが『歎異抄』第2章です。
それがどのように表れているのか、親鸞会.NETで明らかにされています。

>> 鬼気迫る対峙 親鸞聖人の慈誨


第19回:「善も悪も全く知らぬ」親鸞聖人の他力信心の表明|親鸞会.NET

善悪の二つ、総じてもって存知せざるなり。そのゆえは、如来の御心に善しと思し召すほどに知りとおしたらばこそ、善きを知りたるにてもあらめ、如来の悪しと思し召すほどに知りとおしたらばこそ、悪しさを知りたるにてもあらめ
(『歎異抄』後序)


私たちは、自分が正しいと思うことは「善」、正しくないと思えば「悪」と判断し、しかもその判断は正確だという大前提で生きています。ですから納得できることは実行しますが、納得できないと素直に従えません。善悪の判断が誤りなくできるなら、そもそも教えを聞く必要はありません。自力の強情我慢で「善悪は分かっている」「正しい判断力がある」とうぬぼれ、仏智を計らっている間は、阿弥陀仏の本願は聞けません。
「一切の自力の計らいを捨てよ」
親鸞聖人の重大なご教示が、『歎異抄をひらく』で鮮明にされています。詳しい解説は、親鸞会.NETでご覧ください。

>> 「善も悪も全く知らぬ」親鸞聖人の他力信心の表明



最も多くの人に読まれている仏教書『歎異抄』を正確に読むには、あくまで親鸞聖人が直接、筆を執って書かれた『教行信証』によらなければなりません。親鸞会は、常に親鸞聖人のお言葉を提示し、その意味を丁寧に解説することによって、親鸞聖人の本当のみ教えを明らかにしています。

親鸞会.NET|「雑行を捨てよ」の真意

「浄土真宗では善を勧めないのに、親鸞会は善を勧めているから間違いだ」

と言ってきた人がありました。

お釈迦様は一生涯、善を勧められた方です。

親鸞聖人は、そのお釈迦様の教えを、「我も信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり」と、90年のご生涯、教えて続けていかれました。

なのに、どうして「浄土真宗では善を勧めない」という意見が出てきたのでしょうか?



ここには、「雑行」という言葉の誤解に、その大きな要因があります。

どんな誤解なのか、親鸞会.NETというサイトで、詳しく紹介しています。


「雑行を捨てよ」の真意(1) 親鸞会.NET

親鸞聖人の教えに善の勧めはあるのか、ないのか。
そのやりとりの発端について、その経緯が紹介されています。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(1)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(2) 親鸞会.NET

善を勧める親鸞会に対し、「浄土真宗は諸善を勧めない」と相手は主張してきました。
諸善とは、仏教で教えられる諸の善のことです。
お金や物を施す、仏法を伝えるなどの行為は諸善です。
それを「勧めない」という相手の主張なのですが、どうしてこんな主張が…、と驚きます。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(2)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(3) 親鸞会.NET

「浄土真宗は諸善を勧めない」と相手が主張してきた根拠を尋ねてみました。
すると、それは「雑行を捨てよ」である、との回答でした。
「諸善を捨てよ、止めよ」と「雑行を捨てよ、止めよ」を、同じ意味だと誤解しているのです。
そこで、「真宗は、諸善を勧めない」と言われるのであれば、「諸善を捨てよ、止めよ」と言われている親鸞聖人の言葉をお尋ねしました。
詳細は、本文をお読みください。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(3)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(4) 親鸞会.NET

「雑行を捨てよ」と主張する相手の理解が、ここで明らかになります。
親鸞聖人の教えに善の勧めはない、という主張がどうして生まれるのか、相手の意見を聞いてみたいと思います。
次第に苦しい解説になっていることがわかります。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(4)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(5) 親鸞会.NET

『その仏法上の〝諸善〟を、すべて〝雑行〟と言われるのならば、弥陀に救われた親鸞聖人が、日野左衛門や弁円などに、懸命に仏法を話し、伝えようとされたことも、〝雑行〟と言われるのでしょうか』
との質問に、相手は、「それらは仏恩報謝の行です。往生のための行ではありません」と回答。
どのようなやりとりがなされているのか、聞いてみましょう。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(5)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(6) 親鸞会.NET

「仏法を伝えるなどの往生行」と、「仏法を伝えるなどの報恩行」の行体は、別のものだとの相手の見解。
そこで、仏法を伝えるという同じ行為なのに、どこがどう違って、
「あれは往生行」
「これは報恩行」
と、分けられるか、その分かれ目を相手に尋ねます。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(6)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(7) 親鸞会.NET

仏法を伝える行為が、往生行となるか、報恩行となるか、その分かれ目を尋ねたところ、「真宗では信前・信後で変わります」との回答。
さらに、「仏法を伝えるなどの往生行諸善雑行と、報恩行とは、全く別物で、行体は同じではありません」との回答もありました。
そうなると、信前・信後で、われわれの行為のどこが、どう変わるのか。
他力の信心を獲る前と獲た後と、仏法を伝えるなどの行為自体、変わるのか、変わらぬのか。
ここが是非とも知りたくなるところです。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(7)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(8) 親鸞会.NET

「雑行を捨てよ」ということを、「諸善を捨てよ、やめよ」と誤解している人が浄土真宗には大変多くあります。
「諸善」を「雑行」と嫌われ、捨てよと言われる真意を知ることが大切です。

ではなぜ、
「諸善」を「雑行」と嫌われ捨てよ、と言われるのでしょうか。
それは、「諸善」を行う心がけが悪いからです。その悪い心とは、「往生の役に立てようとする心」です。
「雑行」とは、その悪い心で行う諸善のことをいいます。

「諸善」が悪いはずはなく、それをやる心がけが悪いから、雑行とけなされ捨てよ、と言われるのであって、諸善そのものを捨てよ、やめよ、ということではありません。

「雑行」も「諸善」も、その行体は変わりませんが、「往生の役に立てようとする自力の心でやる諸善」は「雑行」と嫌われ「捨てよ」と言われるのです。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(8)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(9) 親鸞会.NET

「雑行」の意味が明らかになり、再度、相手に「諸善と雑行は同じことですか」と確認するも、それには答えがありませんでした。
回答に行き詰まった原因は、「諸善」と「雑行」の違いが分からず、「雑行を捨てよ」を「諸善を捨てよ」と間違われたところにありました。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(9)を読む


「雑行を捨てよ」の真意(10) 親鸞会.NET

親鸞聖人の教えでは、「雑行」とは、だんだんに捨たるものでもなければ、少しずつ無くなるものでもありません。
弥陀に救われた一瞬に捨たるものです。
真宗で「雑行」とは、「往生の役に立てようとする自力の心でする諸善」を言うのですから、雑行が捨たったというのは、「往生の役に立てようとする自力の心」が捨たったことであり、無くなったことを言うのです。
「諸善を捨てる」ことでもなければ、「諸善を止める」ことでもありません。
「雑行を捨てて本願に帰した」人ならば、明らかに体験することです。

>> 「雑行を捨てよ」の真意(10)を読む



「雑行を捨てよ」が大変誤解されています。親鸞聖人の教えを正しく知る上で、極めて大切なことですから、よくよく学ばなければなりません。
親鸞会発行の『顕正新聞』に、「雑行を捨てよ」の意味を、わかりやすくマンガで解説したものを、このブログにも掲載しています。
下記のリンクからご覧ください。

>> マンガでわかる「雑行を捨てよ」

親鸞会.NETガイド

親鸞会の情報をお届けするポータルサイト『親鸞会.NET』に掲載されている情報を、ここでカテゴリー別にご紹介しましょう。

親鸞会.NET


◆親鸞会 仏教講座

親鸞会では、親鸞聖人の教えをわかりやすく解説しています。親鸞会.NETで紹介されているカテゴリーを、いくつかの話題をピックアップしてご案内します。
>> 記事を読む

◆法子と朋美の親鸞会講座

浄土真宗親鸞会のネット案内役の法子が、朋美さんと一緒に、富山県射水市にある浄土真宗親鸞会の親鸞会館を案内していきます。
>> 記事を読む


◆歎異抄に魅せられた人々

『歎異抄』は、作家、哲学者、右翼の活動家から左翼の思想家まで、最も広範な読者を持つ仏教書の筆頭と称されています。
“一流”といわれる人たちが、歎異抄をどう語っているのか、シリーズで紹介しています。
>> 記事を読む


◆歎異抄解説書の比較対照

高森顕徹先生著『歎異抄をひらく』が、親鸞聖人自作の『教行信証』や、覚如上人、蓮如上人のお言葉で、古今の歎異抄解釈の間違いや曖昧さをどのように正され、『歎異抄』の真意をひらかれているか、比較しています。
>> 記事を読む


◆「雑行を捨てよ」の真意

《「雑行を捨てよ」の真意》について連載しています。
「親鸞聖人の教えに善の勧めはあるか、ないか」
ネット上で、浄土真宗の重要な教えについての論争を解説。
>> 記事を読む


◆親鸞会の勉強会に行ってみよう

親鸞会の勉強会には、どうやって参加したらいいんですか?」
という皆さんからのご質問に、イラストでお答えします。
>> 記事を読む

親鸞会.NET|歎異抄に魅せられた人々

親鸞会.NETに掲載された「歎異抄に魅せられた人々」について紹介しましょう。

吉川英治と『歎異抄』を親鸞会.NETでチェック

「歎異抄 旅に持ちきて 虫の声」の句を残した吉川英治は、親鸞聖人の大ファンとして知られています。初めて書いた小説が『親鸞記』であり、40代になって、再び小説『親鸞』を書いています。親鸞会.NETに詳しく載っていますので、ぜひご覧ください。

司馬遼太郎と『歎異抄』を親鸞会.NETでチェック

「非常にわかりやすい文章で、読んでみると真実のにおいがするのですね」と『歎異抄』のことを語ったのは、有名作家の司馬遼太郎です。
「無人島に1冊の本を持っていくとしたら『歎異抄』だ」とまで言い切った司馬遼太郎の『歎異抄』への思いが、親鸞会.NETで紹介されています。

齋藤孝と『歎異抄』を親鸞会.NETでチェック

『声に出して読みたい日本語 音読テキストシリーズ』第3弾に齋藤氏は『歎異抄』を選びました。その理由も、語られています。詳しくは、親鸞会.NETをご覧ください。

倉田百三と『歎異抄』を親鸞会.NETでチェック

フランスのノーベル賞作家であるロマン・ロランから「現代のアジアにあって、宗教芸術作品のうちでも、これ以上純粋なものを私は知らない」と激賞されたのが親鸞聖人を題材に書いた『出家とその弟子』です。倉田百三の『歎異抄』への思いを親鸞会.NETで聞いてみましょう。

武田鉄矢と『歎異抄』を親鸞会.NETでチェック

直木賞作家、東野圭吾の『白夜行』がドラマ化され、笹垣という刑事役を演じた武田鉄矢氏が何度も『歎異抄』の言葉を口ずさむ場面があります。原作にない『歎異抄』の言葉を、武田鉄矢氏は、なぜ入れたのでしょうか。親鸞会.NETで分かります。

三木清と『歎異抄』を親鸞会.NETでチェック

「万巻の書の中から、たった一冊を選ぶとしたら、『歎異抄』をとる」と語ったのは、日本の三大哲学者の一人、三木清です。三木清の親鸞聖人への思いを、親鸞会.NETで聞いてみましょう。

野間宏と『歎異抄』を親鸞会.NETでチェック

「『歎異抄』は、幾度読み直しても、その度ごとに、新しいという感じを受ける、書物である」と語ったのは、作家の野間宏です。その『歎異抄』を理解するとき気をつけなければならないことがあると言ってます。それは何か、親鸞会.NETで紹介されています。

丹羽文雄と『歎異抄』を親鸞会.NETでチェック

文学関係で文化勲章を受賞した人は20名ほどしかいませんが、丹羽文雄はその一人です。
丹羽文雄は親鸞聖人について、
「親鸞にめぐり会えたことは、一介の文学者としても、人間としても、生涯の喜びである」
と語っています。詳しくは親鸞会.NETで。

花岡大学と『歎異抄』を親鸞会.NETでチェック

「すくなくとも“真実に生きる道”を求めようとする人なら、わたしはまず何をおいても『歎異抄』を読んでもらいたいと思う」と語ったのは児童文学作家で有名な花岡大学である。親鸞会.NETでその詳しいことがわかります。

東条英機と『歎異抄』を親鸞会.NETでチェック

「(花山)先生、いまは『正信偈』や『歎異鈔』を読ませてもらって喜んでおる」(巣鴨の仏間にて・東条英機)
「(妻)勝子へは、精神的打撃だろうが、仏の大慈悲をいただいて天寿をまっとうせよ。歎異抄の第一章は胸をつく」
とは東条英機の言葉です。A級戦犯として絞首刑となった東条英機ですが、巣鴨の刑務所で真剣に聞法したと言われます。親鸞会.NETにその経緯が紹介されています。

三國連太郎と『歎異抄』を親鸞会.NETでチェック

三國連太郎はこう言っています。
「私が一番感動するのは『教行信証』の冒頭の言葉です」
『教行信証』冒頭には、
「難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり」
とあります。これは、人類の苦悩の根元と解決の道を親鸞聖人が明示されたものです。
三國氏が親鸞聖人に傾倒したきっかけは何だったのでしょうか?親鸞会.NETで知ることができます。

親鸞会.NET|親鸞会 仏教講座カテゴリー

親鸞会.NETに掲載されている「親鸞会 仏教講座」の内容を紹介しましょう。

親鸞会・あじさいの花

●後生の一大事について

仏教は後生の一大事を知るところからはじまり、後生の一大事の解決で終わります。
ですから、「後生の一大事」とはどんなことかを知らなければ、仏法は何十年聞いてもわかるものではありません。
その後生の一大事について解説しています。

第1回
第2回
第3回

親鸞会|親鸞学徒の皆さんへ

浄土真宗 親鸞会 公式ホームページに掲載されている内容をわかりやすく紹介します。


1.『こんなことが知りたい』に学ぶ

高森顕徹先生の著書『こんなことが知りたい』シリーズ全4巻の中から
親鸞会公式ホームページに掲載されたものを紹介します。


2.親鸞会発行 『顕正新聞』の“論説”に学ぶ

浄土真宗 親鸞会が発行する『顕正新聞』に掲載されている
“論説”の内容に学んでみましょう。

親鸞会|顕正新聞に学ぶ|論説

浄土真宗 親鸞会の公式ホームページには、親鸞会発行の『顕正新聞(けんしょうしんぶん)』に掲載された記事が紹介されています。
ここでは、親鸞会『顕正新聞』の論説に掲載された記事をご案内しましょう。

※顕正新聞とは・・・浄土真宗親鸞会から毎月1日と15日、親鸞会会員(親鸞学徒)に発行される機関紙のこと。親鸞聖人のみ教えを伝え、各地の親鸞学徒の話題などを紹介しています。

・・・・・

平成23年07月15日号:仏法者は因果の道理を深信する
因果の道理は、仏教の根幹です。
因果の道理を説かない仏教はありません。親鸞会では、お釈迦様の説かれた仏教の根幹である因果の道理を懇切丁寧にお話しています。

平成23年06月15日号:弥陀の本願と親鸞聖人
阿弥陀仏の本願に救い摂られた親鸞聖人には、何よりも疑いようのない明らかな〝まこと〟が、「阿弥陀仏の本願」のみでした。歎異抄2章の「弥陀の本願まことにおわしまさば」の真意を親鸞会は明らかにします。

平成23年06月01日号:苦悩の真因知るは雨夜の星
政治や経済、科学、医学、法律、芸術、全て人の営みは幸福のためにあります。しかし、物質的に豊かになっても、苦悩は少しも減少してはいません。なぜなら、苦悩の真因を間違えているからなのです。苦悩の真因を親鸞聖人はどのように教えておられるのか、親鸞会は明らかにします。

平成23年05月15日号:『正信偈』起草の目的は何か
親鸞聖人は今日、世界の光と仰がれています。それは、親鸞聖人が90年の生涯教えていかれた教えが、全人類の救われるたった一本の道だからです。その親鸞聖人のみ教えのすべてがおさまっているのが『正信偈』です。起草された目的を『正信偈』のお言葉で親鸞会は明らかにしています。

平成23年05月01日号:全て弥陀の御心のままに親鸞学徒の道

平成23年04月15日号:親鸞学徒の変わらぬ使命

平成23年04月01日号:後生の一大事の解決 仏教の役割

平成23年03月15日号:弥陀の方便なくして真実へは入れぬ
阿弥陀仏は、十方衆生を真実の十八願で救うために、十方衆生を相手に、十九、二十の方便願を建てられています。
十八願だけで救えるのなら、弥陀が方便二願を建てられるはずがありません。
十八願の誓いを果たすために、絶対必要不可欠な方便だったのです。親鸞会で、親鸞聖人の教えられた真仮がわかります。

平成23年03月01日号:龍樹菩薩と弥陀の本願
すべての人間を「煩悩具足の凡夫」と見抜かれて“そのまま救う”と誓われた弥陀の本願だけが、私たちの救われる道であることを、親鸞聖人は教えてくださいました。その弥陀の救いを開示された龍樹菩薩の教えを、親鸞聖人は『正信偈』にそのまま引用されています。

平成23年02月15日号:親鸞聖人750回忌と親鸞学徒
真宗の危機は、人類の危機。知らされた人から、正確に、たゆまず、熱く叫び抜く。それが親鸞学徒の責任でしょう。
親鸞聖人750回忌は「浄土真宗、今盛んなり」と、人々に南無阿弥陀仏の大宝を届ける勝縁としたいものです。

平成23年02月01日号:聞き誤ってはならぬ「雑毒の善」
「雑毒の善」と聞くと、しなくてもよいと思ったり、〝不純な気持ちでやるのは悪だ。やらぬほうがよい〟とまで誤解する人があります。
自分に都合がよいからなおさらでしょう。ここに今日、浄土真宗が急速に衰退した原因の一つがあるのです。どういうことか、親鸞会で学ぶことができます。

平成23年01月01日号:無上仏の御心のままに

平成22年12月15日号:五劫思惟は誰のため
私たち親鸞学徒は、阿弥陀仏が本願を建てられた御意を親鸞聖人が微塵の計らいも入れず開顕なされた三願転入のみ教えを、決して踏み外してはならないのです。親鸞会で、三願転入のみ教えを知ることができます。

平成22年11月15日号:一切の滅びる中に 滅びざるまこと
一切の滅びる中に、唯一つ滅びない真実は「弥陀の本願のみ」であると親鸞聖人は教えられています。弥陀の本願は、どんな人も必ず絶対の幸福に摂め取り、永久に捨てない誓いです。親鸞会は、常に、親鸞聖人が明らかにして下された阿弥陀仏の本願一つをわかるようにお伝えしています。

平成22年11月01日号:釈迦一代の教えは 弥陀の方便の善なり
「八万四千の法門」とは釈迦一代の教え、仏教をいいます。その教えは、万人に「後生の一大事」があることと、その「解決方法」の二つです。ですから仏教は、後生の一大事に始まり、その解決で終わるのです。釈迦一代の教えを、親鸞聖人が「弥陀の方便の善」とおっしゃった御心を、親鸞会で知ることが出来ます。

平成22年10月15日号:往生の大事 一念に決する弥陀の救い
「仏願の生起・本末」の「仏願」とは阿弥陀仏の本願です。それはどんな者を相手に誓われたお約束か。苦悩にあえぐ全人類を、われ一人救わんと奮い立たれた阿弥陀仏が、どのように本願を建てられ、結果どうなったかを「生起本末」と言われています。仏願の生起本末について、親鸞会の法話では、常に明らかに説かれていますので、詳しく知ることが出来ます。

平成22年10月01日号:人類の迷信を破り龍樹菩薩殉教す
死んだらどうなるか。すべての人にとって、これほど重大な問題はありません。この疑問に答える人類の思想を、仏教では「有無の二見」と大別し、どちらも外道と排斥します。どんなことか、親鸞会で学ぶことが出来ます。

平成22年09月15日号:「煩悩の喜び」と「弥陀の救い」
踊躍歓喜の心が無く、早く浄土へ往きたいとも思わないのは、どうしてでしょうか。率直な問いに、「唯円、おまえもか。親鸞も同じだ」と、虚心坦懐に答えられている。『歎異抄』9章に記されている対話です。多くの学者も誤解しているところですが、親鸞会では、親鸞聖人の書かれた『教行信証』を物差しとして、『歎異抄』の真意を明らかにしています。

平成22年09月01日号:弥陀釈迦の大恩
この世のどんな大恩でも、命を捨ててお返しできないものはないだろうが、親鸞聖人の恩徳讃は、「身を粉に」「骨砕きても」なお報い切れない大恩のあることを教示なされている。親鸞聖人の恩徳讃の御心を、親鸞会で知ることができます。

平成22年08月15日号:「真仮を知れ」親鸞聖人の教え
“真”とは「人生の目的」、“仮”とは、生きがいや趣味、目標など「人生の手段」のことである。「目的」と「手段」の水際のつかぬのを、「真・仮を知らざる」と言い、生命の大歓喜のないのを「如来広大の恩徳を迷失す」と言われている。親鸞聖人のみ教えを知ることで、人生の目的がハッキリします。その親鸞聖人の教えられたことを親鸞会は、現代の言葉でわかるようにお伝えしています。

平成22年08月01日号:仏法は聴聞に極まる
弥陀の18願(真)の救いは、「聞其名号」であるから「聞」で決する。「聞」は、「弥陀の呼び声」を聞く「聞即信」の「聞」である。「聞く」一つで決定する弥陀の救いだから、肝要は聞法であることは歴然だ。親鸞会では、親鸞聖人が教えられたように「仏法は聴聞に極まる」ことを皆さんにお伝えしています。

平成22年07月15日号:生死の苦海に大船あり
苦海に溺れる私たちを、必ず乗せて渡す救助の大船の厳存を教えられ、この船に乗ること一つが、万人共通の人生の目的だと親鸞聖人は教えられています。苦しみ悩みの波が次から次へとやってくる海のような人生で、人は何のために生きねばならぬのか、親鸞会でハッキリと分かります。

平成22年06月15日号:仏教の根幹・三世因果の教えと”今”を強調された親鸞聖人
三世因果の道理は、現在の自己を徹見せよ、現在の自分が明らかに知られれば、過去も未来も皆分かると教えられています。三世因果の道理を根幹に親鸞聖人は、弥陀の本願真実を「平生業成」「現生不退」「不体失往生」と開顕されています。平生業成の親鸞聖人のみ教えを親鸞会で知ることができます。

平成22年06月01日号:三願転入は弥陀のお計らい
本師本仏の阿弥陀仏には、四十八のお約束がある。世に名高い、弥陀の四十八願といわれるものだ。その中で「あらゆる人を救い摂る」と誓われた願は3つである。十八・十九・二十の三願のみである。その三願は、どんな関係にあるのか、親鸞会で知ることができます。

平成22年05月15日号:親鸞聖人の知恩・感恩・報恩
「親鸞は阿弥陀如来に救われた、親鸞は弥陀に助けられた」と親鸞聖人が『正信偈』に繰り返されているのは、多生にも値えぬ阿弥陀仏の救いに値えた大歓喜です。親鸞聖人ほど命の限り粉骨砕身、仏恩師恩の報謝に徹し抜かれた方はおられません。親鸞聖人のご苦労を偲び、親鸞聖人が命懸けで伝えて下された弥陀の本願を聞かせていただきましょう。親鸞会では、親鸞聖人が常に明らかにしていかれた阿弥陀仏の本願を、親鸞聖人や蓮如上人のお言葉を提示しながら、詳しく解説しています。

平成22年05月01日号:本道で邪義を破る
私たち親鸞学徒が破らなければならない邪義(間違った教え)は数多くあります。その代表的なものが浄土真宗に3つあります。親鸞会は、親鸞聖人のお言葉で教えを明らかにする親鸞学徒の本道を、ひたすら進むのみです。

平成22年04月15日号:無上の幸福こそ人生の目的
「平生業成」とは、人生の目的が平生に完成する、ということです。しかもその人生の目的は徐々に完成するのではなく、何兆分の一秒よりも速い「一念」で成就するのだと、『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』に親鸞聖人は説かれています。一念の弥陀の救いについて、親鸞会で知ることができます。

平成22年04月01日号:“難中の難”と“易中の易”

平成22年03月15日号:なぜ自殺は愚かなのか

平成22年03月01日号:親鸞学徒の本道の要諦

平成22年02月15日号:二種深信でひらく『歎異抄』

平成22年02月01日号:どうすれば救われるか

平成22年01月15日号: 『歎異抄』の謎を解くキーワード

平成22年01月01日号:異端か、正統か 『歎異抄をひらく』発刊から1年10カ月

平成21年12月15日号:なぜ火中突破の聞法なのか

平成21年11月15日号:「ただ信心を要とす」の真義

平成21年11月01日号:自力とは何か

平成21年10月15日号:「雑行」が分からぬのはなぜか

平成21年10月01日号:『歎異抄』から流れ出る思想

平成21年09月15日号:更に珍しき法を弘めず

平成21年09月01日号:底なしの悪人を救う本願

平成21年08月15日号:聞法の決勝点

平成21年08月01日号:『歎異抄をひらく』の衝撃度

平成21年07月15日号:弥陀の十九の願意

平成21年07月01日号:どこに向かって泳ぐのか

平成21年06月15日号:崇拝できる人なのか

平成21年06月01日号:大宇宙の諸仏が絶讃する名号

平成21年05月15日号:仏教を聞く目的は、何か

平成21年05月01日号:諸行往生は本願にあらず

平成21年04月15日号:弥陀が勧められている

平成21年04月01日号:「心の向き」がポイント 喜捨と税金

平成21年03月15日号:カンダタは誰の心か

平成21年03月01日号:オアシスに潜む闇の声

平成21年02月15日号:教えと体験

平成21年02月01日号:実機と修善

平成21年01月15日号:「切り刻みても飽くかよ」

平成21年01月01日号:親鸞学徒の本道をゆく

親鸞会|『こんなことが知りたい』に学ぶ

浄土真宗 親鸞会の公式ホームページには、親鸞聖人の教えをより深く学ぶことのできるよう、高森顕徹先生の著書に掲載されているものや、親鸞会発行の『顕正新聞』、『顕真』の記事が多く掲載されています。

ここでは、親鸞会公式ホームページの仏教講座に掲載されたものを紹介したいと思います。

親鸞会|こんなことが知りたい1

『こんなことが知りたい』(高森顕徹先生著)より

  • 親鸞聖人と人生の目的 『こんなことが知りたい2』(2)
    私は時々、自分はなぜこんなに苦しみながら生きていかねばならぬのか。何の為に働いているのだろうかと考えます。人生の目的は何だと親鸞聖人は教えられているのでしょうか。
  • 親鸞聖人は、なぜ人間に生まれたことを有り難いと言われたのか 『こんなことが知りたい1』(8)
    人間に生まれたことを喜べと教えられますが、喜ぶどころか生んだ親をうらむことさえあります。こんなことではいけないと思いながらも喜ぶことができません。親鸞聖人は、なぜ人間に生まれたことを有り難いと仰ったのでしょうか。
  • 仏教は独尊的な教えではないのか 『こんなことが知りたい3』(7)
    お釈迦さまが誕生された時に「天上天下、唯我独尊」と言われたそうですが、仏教は、そんな独尊的な教えなのですか。
  • 親鸞聖人と絶対の幸福 『こんなことが知りたい2』(3)
    親鸞聖人は、人生の目的を絶対の幸福だと言われますが、絶対の幸福とはどんな幸福を言うのでしょうか。
  • 現代人には信心などいらないのではないか 『こんなことが知りたい1』(1)
    私は高校生ですが、なぜ信心など必要なのか分かりません。そんな古くさいことを親鸞聖人は教えられたのですか。必要な理由を教えてください。
  • 死は暗黒と消滅のみか 『こんなことが知りたい3』(2)
    仏教は後生の一大事と、その解決を教えるものであるといわれますが、近代合理主義の教育を受けた我々は、とても認めることはできません。死のもたらすものは暗黒と消滅のみと思っていますが間違いでしょうか。
  • 死が恐ろしいとは思えぬ 『こんなことが知りたい3』(1)
    仏教では肉体が亡びても残る生命があると教えられますが本当でしょうか。 僕は死ぬことがそんなに恐ろしいとは思えないのです。だから後生の一大事ということが分かりません。
  • 私の人生観は間違いか 『こんなことが知りたい4』(1)
    一度は死なねばならぬことは分かっていますが、毎日、死ぬ死ぬと思っていては楽しく生きられません。だから私は死をなるべく考えないように生きようと思っています。私の人生観についてご意見を聞かせてください。
  • 親鸞聖人は運命についてどう教えていられるのか 『こんなことが知りたい2』(1)
    人間の運命ほど不思議なものはないと思いますが、親鸞聖人は、私たちの運命は何によって定まると教えられているのでしょうか。
  • 親鸞聖人と三世因果の教え 『こんなことが知りたい1』(6)
    仏教は三世因果の教えと言われますが、どんなことでしょうか。親鸞聖人の強調された現在の救いと、どんな関係があるのか教えてください。
  • 仏教はアキラメ主義ではないのか 『こんなことが知りたい1』(42)
    私の両親はよく寺へ参詣しますが、私たちによくアキラメが大事だと言います。何もかもアキラメてゆくところには進歩も向上もありません。仏教がアキラメの宗教なら聞く気にはなれません。
  • 仏教の平等観と親鸞聖人 『こんなことが知りたい4』(3)
    敗戦後の日本は、自由平等を謳歌する世の中になりましたが、自由が放縦になり平等が悪平等になって社会の混乱に拍車をかけているように思われてなりません。親鸞聖人の平等観について聞かせてください。
  • なぜ仏教は人の嫌がる臨終や死のことを多く語るのか 『こんなことが知りたい2』(6)
    私は率直にいって仏教は好きになれません。我々は明るい生をこそ求めているのに仏教は暗い死が多く語られ陰湿だからです。なぜ仏教は人の嫌がる臨終や死を重視するのでしょうか。
  • 仏教の方便とは、どんなことか 『こんなことが知りたい4』(4)
    なんでも方便だという人がありますが、仏教で方便とはどんなことを言うのでしょうか。方便は必要なものでしょうか。
  • 仏性があるとはどんなことなのか 『こんなことが知りたい1』(54)
    仏教では山川草木悉有仏性と説かれているそうですが、私たちに本当に仏性などあるのでしょうか。自分の心を見れば見るほどあるようには思えません。仏性とはどんなものでしょうか。
  • 祖先のたたりで災難がおきるのか。祖先の供養はどうすればよいのか 『こんなことが知りたい1』(49)
    世間では何か不幸や災難がおきると、それは先祖のたたりだとか、先祖の供養をしないからだとか言う人がありますが、本当でしょうか。親鸞聖人はどう教えられているのでしょうか。
  • 親鸞聖人の教えと故人の供養 『こんなことが知りたい2』(27)
    死人に対する一番のご馳走は読経だと皆さんが言われますが、お寺さんにお経を読んでもらうことは、死んだ人のためになるのでしょうか。親鸞聖人の教えを聞かせてください。
  • 金や物のない人は布施行はできないのか 『こんなことが知りたい4』(6)
    仏教では金や物を施す布施の行為は、大変功徳があり仏縁になると言われていますが、金や物の持たない者は布施はできないのでしょうか。


その他の記事

親鸞会|雑行・雑修・自力の心|マンガ解説|もくじ

浄土真宗でよく読まれるお言葉に次の蓮如上人のお言葉があります。

もろもろの雑行・雑修・自力の心をふり捨てて、一心に「阿弥陀如来われらが今度の一大事の後生御たすけ候え」とたのみ申して候。たのむ一念のとき、往生一定・御たすけ治定とぞんじ、この上の称名は、御恩報謝と存じよろこび申し候。この御ことわり聴聞申しわけ候こと、御開山聖人御出世の御恩・次第相承の善知識の浅からざる御勧化の御恩と、有難くぞんじ候。この上は定めおかせらるる御掟、一期をかぎりまもり申すべく候。

はじめの「もろもろの雑行・雑修・自力の心をふり捨てて」の意味が、大変誤解されていますので、その正しい意味を、親鸞会では誰にでもわかるように解説しています。

大変大事なところなので、機関紙の『顕正新聞』でもマンガでわかりやすく解説されました。


「マンガ解説・雑行・雑修・自力の心」の目次

雑行・雑修・自力の心|マンガ解説1
雑行・雑修・自力の心|マンガ解説1~4
(親鸞会 顕正新聞 平成22年2月15日号掲載)

雑行・雑修・自力の心|マンガ解説2
雑行・雑修・自力の心|マンガ解説5~7
(親鸞会 顕正新聞 平成22年3月1日号掲載)

雑行・雑修・自力の心|マンガ解説3
雑行・雑修・自力の心|マンガ解説8~10
(親鸞会 顕正新聞 平成22年3月15日号掲載)

雑行・雑修・自力の心|マンガ解説4
雑行・雑修・自力の心|マンガ解説11~14
(親鸞会 顕正新聞 平成22年4月15日号掲載)